ついに三度目の召集で病弱な夫も兵隊に取られてしまう
誰も「止めよう」とは言えず、惰性のように戦いがつづく。もはや軍需物資や人的資源はほぼ尽きていたのだが、常軌を逸した上層部は国力を最後の一滴まで絞りつづけて戦争を継続しようとする。
兵士に不適格とされた者も戦場に送られるようになった。近所を散歩するだけで息を切らすような老兵が、重い装備を担いで戦場を走らされる。芳夫のような病歴のある者も同様、次々に戦場へ送られた。いれば何かの役には立つだろう、と。
昭和20年(1945)1月、芳夫に再び召集令状が届く。今度は召集解除とはならず、兵営に入って戦場へ赴くための教練を受けることになった。体の弱い夫が軍隊の厳しい生活に耐えられるだろうか? 心配になる。また、各地の戦場では部隊の全滅が相次いでいる。戦場に行けば戦死する確率が極めて高い。夫と永久に離れ離れになるなんて、想像しただけでも恐ろしい。
夫の出征後、東京大空襲が起こり、嘉子は疎開を決断する
この後、嘉子には苦難が度重なる辛い日々がつづく。これまで彼女は何不自由なく幸福に暮らしてきた。人の運には限りがあるのか、持っていた運をすべて使い果たしたかのように、人生は暗転する。
芳夫の召集から2カ月後、3月10日には300機を超えるB29の大編隊が飛来して下町地域を焼け野原に変えてしまう。後に「東京大空襲」と呼ばれ、10万人を超える死者がでる悲劇を生んだ。
このまま東京にいると命が危ない。同月、嘉子は2歳の芳武と戦死した弟・一郎の妻子と一緒に福島県の坂下(河沼郡会津坂下町)へ疎開した。5月25日には山の手方面にも大規模な空襲があり、爆弾や焼夷弾をばら撒く無差別爆撃がおこなわれているからその判断は正解だった。空襲によって嘉子が住んでいた高樹町の借家は焼失、青春時代の思い出がいっぱい詰まった街並みも廃墟と化してしまった。
作家
大阪芸術大学卒業。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。著書に『ウソみたいだけど本当にあった歴史雑学』(彩図社)、『牧野富太郎~雑草という草はない~日本植物学の父』(角川文庫)などがある。