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中部国際空港のすぐとなり…名鉄“ナゾの通過駅”「常滑」には何がある?

空港のある半島、知多 #1

2024/05/27

genre : ライフ, , 社会, 歴史

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「のちにはトイレで名を馳せる。現在のLIXILである」この町に焼きものが広まった理由

 常滑の窯業の歴史は古い。少なくとも平安時代の終わり頃には、「古常滑」として広く知られていたらしい。粘土質の土壌が特徴の知多半島は稲作には不向きで、そのために古くから窯業が盛んになったようだ。

 伊勢湾に面する、つまり海運の利があったことも有利に働いて、鎌倉時代から室町時代にかけては北は青森、南は鹿児島まで、ほぼ日本列島全域に常滑産の陶器が流通していた。

 はじめは知多半島の広い範囲で行われていた陶器の生産は、江戸時代に入ると備前焼に押されて規模を縮小し、常滑一帯が中心として存続する。この頃の常滑は、窯業に加えて市域北部にあたる大野の廻船問屋による海運の拠点としても栄えていた。

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 海運業は近代に入ると鉄道に押されて衰退することになるのだが、窯業の町としての性質は変わらず保たれた。名鉄常滑線は愛知電気鉄道によって1913年に常滑駅まで開業しているが、その大きな役割のひとつが常滑焼の輸送だったくらいだ。

 また、常滑の陶工を礎としてこの頃に生まれたのが伊奈製陶。当初は建築用のタイルや陶管などを主に生産し、のちには衛生陶器(つまりおトイレ)で名を馳せる。INAX、現在のLIXILである。

 

 ちなみに、陶器製の招き猫の生産は常滑市が日本一なのだとか。江戸時代、江戸で生まれた招き猫は商売繁盛の縁起物としてブームになって、先立って同じ愛知県の瀬戸市が生産地となった。

 常滑は瀬戸よりは遅れたものの、丸みを帯びたやわらかな印象の招き猫が人気を呼んで、一大産地に成長する。信楽のたぬきか、常滑の猫か。いま、多くの人が思い浮かべる招き猫の形状は、常滑の招き猫のそれである。

 だから、常滑の町のあちこちには土管と同じくらいに猫がいる。町の公式キャラクターも招き猫をデフォルメした「トコタン」だ。もともとはボートレースとこなめのキャラクターだったが、2014年に市制60周年を記念して常滑市の公式キャラクターに出世したそうだ(だから「トコタン」の“タン”はターンマークやモンキーターン、3連単などボートレースに由来がある)。