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「連れて行かないでくれ」と頼んだが、犬を小屋から引きずり出し…無人島で遭難した145人の男たちが達した“飢えの限界”

『絶海――英国船ウェイジャー号の地獄』より#3

note

見張りに立っていると、何かが動く音が

 チープはバルクリーにもこの夜間の見張りを分担するよう命じたため、バルクリーは夜中に何時間もじめつく寒さの中に一人で立つことになった。バルクリーのほうが階級が下であることを思い知らせる命令だった。「厳しい命令がくだされ」、「見張り」をすることになったとバルクリーは記している。

 バイロンもやはり交替で見張ることになった。「食料を求めて一日中狩りをして疲れ切った」後に、「夜間の侵入に備えてこのテントを守る」のは大変だったとバイロンは記している。

 ある晩、バイロンが見張りに立っていると、何かが動く音が聞こえた。バイロンは今もまだ、日が落ちるとこの島には怪物がうろついているのではないかと怯えていた。

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 バイロンは、ある船乗りの話として次のようなエピソードを書き留めている。ある時、その船乗りが寝ていると「何かの動物に顔に息を吹きかけられて眠りを妨げられた。目を開けると、巨大な獣が見下ろすように立っているのが火明かりで見え、少なからず肝を冷やした」という。その船乗りは「恐怖におののきながら」も間一髪のところを助かったと語ったという。

 この逸話に触発されたバイロンは、自分も砂地に奇妙な痕跡が残っていたのを見たと後に記している。その痕跡は「深く平らで、大きな丸い足に爪もしっかりついていた」と。

3人が窃盗で捕まったという知らせが集落中を駆け巡る

 その晩のバイロンは、暗闇に目を凝らした。何も見えなかったが、依然として荒っぽい音が聞こえてくる。音はテントの中からだった。バイロンは銃を抜き、中に入った。すると、目の前に光を反射する仲間の一人の目があった。男は覆いの下から潜り込み、食料をくすねている最中だった。バイロンは、銃を男の胸に向け、そして盗人の両手を縄で支柱に縛り付けると、艦長に知らせに向かった。

 チープは男を監禁すると、それ以上事件が起こらないことを願った。それから間もなく、主計長トマス・ハーヴィーが武装して散歩に出ている時、貯蔵テントの傍の茂みを這う人影を見かける。「そこにいるのは誰だ」と問いただすと、ローランド・クラセットという海兵隊員だった。ハーヴィーは、クラセットを取り押さえ、持ち物をあらためた。すると、「90人の1日分以上の小麦粉と、上着の下に牛肉を1切れ」持っていた他、茂みに牛肉3切れを隠していたとバルクリーは記している。

 さらに、その時、貯蔵テントの見張りに立っていたもう1人の海兵隊員トマス・スミスもクラセットの共犯であることがわかり、やはり身柄を拘束された。

 3人が捕まったという知らせは集落中を駆け巡り、気力を失っていた住民たちもすわ制裁をと色めき立った。チープはバルクリーとその他数名の見張り要員に、「貯蔵テントからの窃盗は、現在の状況では全員を餓死させかねないのであるから、死罪に値すると考える」と告げた。反対する者は1人もいなかった。「それはチープの見解というに留まらず、その場にいた全員の心情でもあった」とバルクリーは記している。