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有罪となった3人の処罰が決定

 ところが、最終的にチープはこう決断を下す。容疑者たちには「海軍の規則を適用すべきであり、生死は軍規によって決する」。そして、その軍規に基づき3人を軍法会議にかけることにした。たとえウェイジャー島で起こった犯罪であっても、裁判を開くのである。

 そこが広大な荒れ野のまっただ中で、英国から遠く離れ、海軍本部の詮索好きな目からも遠く離れているとはいえ、チープをはじめ漂着者の多くは英国海軍の軍規に固執した。急きょ、公開裁判を開くことにし、数人の士官が裁判官役の判士に任命された。海軍の軍規によると、判士は中立の立場の者であるべきだったが、今回の場合、事件の影響を受けない者は1人もいなかった。

 ぼろぼろの服をまとった判士たちが宣誓すると、被告人たちが連れてこられた。3人の体に風が吹き付ける中、罪状が読み上げられた。証人たちが呼ばれ、「真実を、すべての真実を、そして真実のみ」を証言しますと誓った。被告たちは、飢え死にしないためならどんな残酷なことや狡猾なことでもするしかなかったのだと自己弁護するしかなかっただろう。審理は長引くことなく、3人とも有罪と見なされた。

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 海軍の軍規をあらためて調べると、窃盗の「罪は生死に関わるものではない」、したがって死罪には値しないと定められていた。その代わり、有罪となった3人はそれぞれ600回の鞭打ち刑が宣告された。きわめて回数が多いため、3日かけて200回ずつ鞭打つことになる。そうしないと、死を招く恐れがあるからだ。海軍のある水兵は、ある時鞭打ち刑に処せられそうになり、「その拷問には耐えられない。いっそのこと銃殺か帆桁の端(ヤーダム)からの絞首刑を宣言されたほうがましだ」と言い切っている。

バルクリーが鞭打ち刑と島流しを提案

 ところが、漂着者の多くは、600回の鞭打ちでは納得しなかった。望むのは極刑、死刑だった。

 すると、バルクリーが発言し、バルクリーの言う「死と隣り合わせの方法」、すなわち「今後に備えて全員を震え上がらせる」刑を提案した。罪人を鞭打ちに処した後に、沖合の岩だらけの小島に置き去りにし、みなが英国へ戻る手段を確保するまで放置するというのだ。そこなら、少なくともムール貝や巻き貝、真水は手に入る。

 チープ艦長はその提案に飛びついた。確かに、それほどまでに過酷な処罰が待っているとわかれば、艦長である自分の命令に背いたり仲間より自分の欲求を優先させたりする者はいなくなるはずだ。

 チープは「総員、処罰に立ち会うように」と命じた。雹が降る中、漂着者たちが集まったところに、囚人の1人クラセットが見張りに引っ立てられてきた。有罪を宣告された海兵隊員クラセットは、世界の裏側までみなと航海を共にし、共に過ごし、ハリケーンと闘い、難破船から生き延びた仲間だった。だが今は、その仲間が両手首を木に縛り付けられるのをみなは見つめていた。反目していた集団同士も、共通の敵に対する憎悪によって一時的に結束していた。