新著『小さな声の向こうに』が話題を呼ぶ文筆家・塩谷舞さんと、パリ在住で世界的に活躍するピアニスト・務川慧悟さんの初対談が実現。小さな声に耳を澄ませると見えてくるものとは?

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塩谷舞氏(左)と務川慧悟氏(右) 撮影・細田忠(文藝春秋)

ピアノを弾かないステージへの登壇は初めてで…

塩谷 今日は『小さな声の向こうに』を上梓してからはじめてのトークイベントなのですが、ゲストには友人であり、本書の最終章を飾ってくれたピアニストの務川慧悟くんをお招きしました。各地での演奏会で忙しい中、本当にありがとうございます。

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務川 ピアノを弾かないステージへの登壇は初めてで、いつもよりずっと緊張しています(笑)。まずみなさんに、二人の接点を僕のほうからお話しすると、4年くらい前に塩谷さんのnoteを読んで文章のファンになって、Twitterもフォローするようになったんですね。

塩谷 それを受けて、大阪に住んでいる私の母が「あなた、務川慧悟さんにフォローされてるよ!」とパニック状態で連絡してきたんですよ。母は大のクラシックピアノ好きで、その影響で私も3歳から実家を離れるまでピアノを弾いていたのですが。それから務川くんの演奏を好んで聴くようになり、Twitterもフォローさせていただいて。

務川 今度はこちらがパニックです(笑)。その後、僕のCD「ラヴェル:ピアノ作品全集」の発売を記念した東京リサイタルにご招待したのが、リアルでお会いした最初の接点でしたね。

ラモーの演奏に静かな衝撃を受けた

塩谷 その演奏会で最初に演奏されたラモーの「ガヴォットと6つのドゥーブル」に、静かな衝撃を受けたんです。演奏が始まった瞬間、美しく枯れた晩秋の情景が心に浮かびました。淡々とリズムが乱れることもなく、禁欲的とも捉えられるような演奏なのに、その中に哀しみや怒りが感じられるような……。その後、務川くんのラモーの演奏動画を何度繰り返し観たかわかりません。

塩谷舞氏

 琴線に触れる芸術に出会うことができたとき、それを言葉にして書き残したい、という欲が生まれます。務川くんの演奏に触れたことで見えてきた情景を、新著の締めくくりとなる最後の一篇「誰もが静寂の奏者となるこの場所で」に書かせてもらいました。

務川 音楽は演奏が終わったら形としては残りませんが、そうした最も掴みづらい芸術を、高い解像度で言葉にしてくださっていて感銘を受けました。そして、塩谷さん自身も書くことはセラピーであると言われていますが、僕自身、自宅で一人ピアノを弾くことによって自分自身が支えられてきました。そうしたピアノとの関係性もしっかり拾って、言葉にしてもらえた感触がありました。