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“ラフマニノフはこういう人だ”と、指の感触が浮かぶ

務川 書いていました。音楽は耳で聴くものですが、奏者にとっては半分スポーツのようなもの。自分で苦労して弾くフィジカルな体験によって、その曲への理解度が格段に上がる、ということはあります。パッとはわからない曲も、まず弾いてみて、一度寝て、翌日また身体を使って弾いてみる。それでもまだわからなくて……そうした日々を繰り返しているうちに、ようやく自分の身体の中に音楽が取り込まれていくんです。

 例えば、「ラフマニノフのピアノコンチェルト」と聞けば、音が思い浮かぶと同時に、指の感覚が思い浮かびます。“ラフマニノフはこういう人だ”というとき、指の感触が浮かぶというのは、ピアノを弾いている人ならではの理解の方法なのかもしれません。

塩谷 あの、僭越ながら私もかつてラフマニノフに挑んだのですが、思い浮かぶのはただただ指が痛い! という感覚ばかりで……。

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塩谷舞氏

務川 それも、一つのラフマニノフらしさですね(笑)。演奏の場では、僕がこうして日々身体で受け止めている感覚を、できるだけ忠実に伝えたいという思いがあります。

 例えば家でひとり、ショパンが亡くなる前の病弱で、非常に繊細な音楽を弾いていると、ショパンの言いたいことが手に取るようにわかってくる。それは自己満足かもしれませんが。でも、過去の偉大なピアニストたちが弾き尽くしてきたショパンの名曲であれ、それでも自分が弾く意味があると強く思えるくらい、曲のメッセージ性がわかってくることがあるんです。

 僕は器用なほうではないし「遅い」人間です。だから、毎日同じ曲を繰り返し弾いていくことが、自分の心にとっても心地いい。僕が演奏家を天職だと思えているのは、ショパンやラヴェルといった作曲家たちの心が、身体を通してしっかりわかっている、という自負があるからなのだと思います。

コスパやタイパが推奨される社会で

塩谷 そうした身体性を大切にされているからこそ、今回の出版記念イベントでは務川くんとお話ししたいと思っていたんです。

 社会の中では、どうしても大きな声が力を持ちやすいし、小さな声、ささやかな芸術は脇に追いやられてしまうことも多い。さらにメディアに出る人の多くは情報感度が高く、ものごとの処理速度が速いですから、どうしてもコスパやタイパを推奨するようなメッセージが溢れてしまいます。私自身も物書きですから、頭の中だけで仕事が完結してしまうことも多くて、身体性がおざなりになってしまうことも多々。でも、なにかを手を動かして作ったり、同じことを何度も繰り返し練習したり……そうした身体性が伴う仕事をしている人でなければ、見えないこと、感じられないものは必ずあります。そうした大きなリズムの中で生きている人たちの存在をおざなりにしていては、社会はけっして豊かにならない。だから自分のなかに大きな時間軸の車輪をもって表現に取り組んでいる人を目の当たりにすると、この人の営みを適切な形で書かなければ! という強い衝動に駆られるんです。

務川 そういう小さな声を拾い上げてくれる人は本当に貴重で、僕自身、この遅くて静かな性格を助けてくれる重要な出会いが人生のなかでいくつかありました。