乗車券類は1950年代半ばまで、都市部で一部に手動レバー式自動券売機が導入されたことを除けば、すべて駅窓口で対面販売されてきた。高度成長期に近距離きっぷを取り扱う電動式自動券売機が登場するが、やはり多くの乗車券類は人間が発券していた。
この頃の特急列車はすべて指定席だったが、その管理は駅から乗車券センターに電話し、センターにある台帳に記入して行っていた。しかし高度成長を迎え、列車の本数はうなぎのぼりに増えていった。指定座席数は1958年10月の2.2万席から1964年10月には約16.5万席まで増えている。
新幹線の開業時は大混乱を呼んだ
こうなると人力の管理では追いつかず、1964年10月に鳴り物入りで開業した新幹線でさえも、満員と断られたのに乗ってみたらガラガラだったとか、苦労して手に入れた特急券がダブルブッキングだった、そもそも特急券を買うのに数時間待ちなど、乗客の不満が高まっていた。
そこで国鉄は当時最新の電子計算機技術を総動員し、駅とホストコンピュータをオンラインで接続して予約と発券を自動で行うシステム「マルス」を開発し、1965年から本格運用を開始した。そしてこの時、主要152駅にマルス端末を備える「みどりの窓口」を設置したのである(この他、日本交通公社の83営業所に設置した)。
以降、券売機以外できっぷを買うなら「みどりの窓口」に行くというのが常識となり、その名は国鉄民営化後も引き継がれた(JR東海のみ後に改称)。指定席特急券を取り扱う自動券売機が登場するのはマルス導入から約30年後の1993年のことであったが、1990年代末から2000年代にかけて主要駅を中心に拡大していった。
多機能券売機も早く撤去したいJR東の本音
余談だが筆者は2000年代初頭、JR東日本の駅員アルバイトをしており、その業務のひとつが指定席券売機の案内業務だった。導入当初だけでなく、その後もしばらく(もしかすると今も)案内要員を置いたことからわかるように、誰にでも使える機械ではなかったのが実情だ。