北方謙三さんとの出会いは6年前、『チンギス紀』の刊行記念トークショーにお声がけいただいた時に遡る。本を読むのは好きだったが、自分で書くことまでは想像していなかった当時、『簡単だよ。あなたの人生を書けばいい』という言葉をかけていただき、それから本に対する向き合い方が少しずつ変わっていった。小説を書くという初めての挑戦に何度も挫けそうになったが、その度に北方先生にギロリと睨まれたような気がして歯を食いしばった。
『黄昏のために』は絵描きの男が主人公だ。そうではないと分かっていても、どこか、この画家に作家本人を重ねてしまう。それは、作家の巧みな嘘に騙されながらも、その嘘に人生の真実が滲み出ているということではないだろうか。
子供の頃、黄昏は家に帰るサインだった。遊びを切り上げる寂しさと1日の疲れを痛感する、避けられるものなら避けたい事象だった。この主人公の絵描きにもそんな感覚はあったのだろうか。人生の黄昏期を意識しているであろう主人公の日常はどこか淡々と描かれるが、その描写は鮮烈だ。黙々と励む料理には1人で生きている男の自由さと侘しさが感じられ、食らうという表現がしっくりくる。物語の中に登場する女性たちは個性豊かで、男としての情欲をそそられるには充分すぎる魅力を放っているが、男はどこか踏み込みすぎるのを躊躇しているように感じられる。
絵描きという職業を描いてはいるが、表現をする人間として少なからず共感する部分があった。世間とある程度の距離を保ちながら創作活動に没頭するということは、自分の世界を存分に謳歌することであり、死ぬまでにどのような境地に辿り着けるかという重荷を自らに課すことでもある。
小説の中に「死そのものを絵にする」という表現が出てくる。人は産まれ落ちた瞬間に死に向かって歩み始める。そして家族、社会、仕事、恋愛、様々な場面で死との距離感を測りながら生きていく。死が受け入れがたいものから、常にすぐそばにいる同志のようなものに変わっていく頃には、黄昏が味わい深いものに感じられるような気がしている。
この物語の読者にはそれぞれの年代なりの捉え方がきっと存在するはずだ。40代の自分には、憧れを抱く世界観であり、人生の楽しみ方の指南書のようでもある。この先も思考を巡らせながら、目の前のことに没頭し、その中に美学を見出していくことができるのか。こんな言葉を綴りたくなる力がこの小説には満ちている。長い時間をかけて何度でも読み返したくなる作品だ。
日が暮れてきた。フェルネット・ブランカをオン・ザ・ロックで飲みながら、少し背伸びをして人生の苦さを噛み締めてみるとしようか。そんな言葉を呟けば、「まあ、酒で消せるぐらいだ」なんて台詞が返ってくるだろうか。
きたかたけんぞう/1947年佐賀県生まれ。81年『弔鐘はるかなり』で単行本デビュー。2013年に紫綬褒章を受章。16年「大水滸伝」シリーズ(全51巻)で第64回菊池寛賞、24年『チンギス紀』(全17巻)で第65回毎日芸術賞を受賞。
たちばなけんち/EXILE及びEXILE THE SECONDパフォーマー。2023年、初小説『パーマネント・ブルー』を刊行。