しかし、2009年以降、「携帯電話の使用」という項目は、「携帯電話(スマートフォン)の着信音や通話」という表記となり、さらに「操作音」という項目が分けられるようになる。つまり、携帯電話の「迷惑」は、それが発する「音」の不愉快さに焦点が絞られ、さらに「着信音と通話」と「操作音」により細かく分けて理解されるようになっている。
2010年代後半になると、「歩きながらの携帯電話・スマートフォンの操作」という項目が加わり、その後、「スマートフォン等の使い方」、あるいは「スマートフォン等の使い方(歩きスマホ・混雑時の操作等)」という表記のなかに統合される。
スマートフォンの使い方についての解像度が上がる
ケータイの「迷惑」の内容の変化は以下のようにまとめられるだろう。1990年代後半以降、電車内の携帯電話は健康被害の可能性が指摘され、厳格な利用指針が存在した。ただし、そうした理由をタテマエとしながらも、新しいテクノロジーであった携帯電話そのもの、およびその主な担い手である若者への嫌悪感もにじむ。
しかし、2000年代後半以降、モバイルメディアの爆発的な普及のなかで、その「不快さ」がどこに由来するのかがより詳細に理解され、「迷惑行為」の内実が明示されるようになる。それは、モバイルメディアの「声と音」と「ながら操作」に対するものであった。さらに、2018年以降の「迷惑ランキング」では、モバイルメディアの「迷惑」に関する追加の質問項目が設定されており、その内容に対する解像度がさらに上がっている(図表3)。
ただし、当初、問題となっていた「混雑した車内での操作」の選択割合は急減し、「通話や着信音の迷惑」も低下している。その一方で、選択割合が高まったのは「ながら操作」であった。
モバイルの「声と音」と「ながら操作」はなぜ迷惑なのか
では、モバイルメディアの「声と音」と「ながら操作」はなぜ迷惑なのだろうか。
ここでは、電車のなかにおいて二つの問題が重なることで「迷惑」と感じられるようになったと考えることができるだろう。ひとつは「視覚的なコミュニケーションの秩序」として維持されている車内空間に、「聴覚的コミュニケーションの秩序」が侵入するという問題である。聴覚刺激を抑制し、視覚を重視した公共交通の秩序維持は、狭く、閉じられた空間のなかで近接する人びとが、他人同士として距離をとって共在するためのものでもあった。