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では、なぜケータイは「迷惑」なのだろうか。1990年代半ばから携帯電話(当時はPHSも多かった)が一般的に普及しはじめると、「電車内の優先席付近では電源を切ること」と掲示されるようになる。当初、とくに問題となったのは医療機器への影響であった。携帯電話の電波が心臓ペースメーカーなどに影響をあたえ、誤作動をおこすことで深刻な健康被害をもたらすとされたのである。

「優先席付近では電源オフ」が緩和されたのは2013年

ただし、携帯電話の電波出力が小さくなり、ペースメーカーのシールド性能が向上することで、誤作動のリスクは軽減していく。そのため、総務省は2013年に「医療機器と携帯電話を離すべき距離」の指針を緩和している。

さらに2015年には、「近接状況になっても影響が発生するとは限らない」という文言を加えて、指針をさらに改定した。このように医療機器の誤作動という問題は次第に背景に退いていったが、携帯電話の「迷惑」がなくなっていったわけではない。むしろ、誤作動の危険という問題が重視されなくなっていくにしたがって、その底流にあった、新しいテクノロジーが電車のなかに入ってくることに対する「不愉快さ」とは何なのかが前景化していくことになる。

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ケータイは「公的空間」への「私的空間」の侵入として批判

たとえば、ケータイは「公的空間」への「私的空間」の侵入、そして新しいテクノロジーを操る「若者」のふるまいの問題の象徴――個人主義の過剰――として批判された。ゴッフマンの用語でいえば、公的状況からの「離脱」(『集まりの構造』:77頁)とよばれる事態であり、儀礼的無関心というマナーからの逸脱と考えることができる。

その結果、「携帯電話の使用」は、2000年代半ば過ぎまで迷惑ランキングの1・2位を占め続けてきた。しかし、2000年代末以降、ランキングはすこしずつ低下していく。「携帯電話といえば迷惑」という反射的な意見が薄くなっていったといえるかもしれない。逆にいえば、それまでは、1990年代に頻出した若者批判と重ね合わされ、新しいテクノロジーそのものへの反発も強かった。