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2000年代に広く普及していった携帯電話においても、その通話、音漏れ、操作音が問題となった。静寂の維持は100年続いた車内規範の根本問題のひとつであり、ラジオの使い方の変化で指摘したように、聴覚の感度も上がり続けてきた。そのため、モバイルメディアが発する音やそれを通じた会話も――1980年代の携帯音楽プレイヤーへの批判の延長線上にある――「迷惑行為」として認識されている。着信音を消す機能を「マナーモード」とよぶことがそのことを端的に表している。

電車で目の前にいる人を超え外部の人と通話するのは「無礼」

もう一点は、対面的な現実空間に遠隔的な情報空間が重なり合うことによる問題である。公共交通における「儀礼的無関心」は、たんなる無視ではなく、他人同士として適切な距離を維持するための「儀礼」として無関心を装うことであった。しかし、モバイルメディアの向こうにいる人を優先して通話をすれば、車内にいる人間はおきざりにされる。その結果、情報空間の顕名的・個人的関係を重視した、交通空間の匿名的・公共的関係に対する「儀礼なき無視」として認識される。

しかも、電車内での携帯電話の通話の場合、こちらの利用者の声は聞こえるが、電話の向こう側がどんな人なのかはわからない。話している内容も、多くの場合、聞こえない。通話の声すら迷惑であるのに、片方のみの内容は雑音でしかないだろう。また、見知らぬ人のプライベートな内容が耳に入ることによる気まずさもある。そうした個人情報が耳に入れば、見知らぬ他者としての心理的な距離がややとりにくくなる。

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もちろん通話をする人にとっては、個人的な関係や都合で通話せざるをえない事情があるかもしれない。その意味では、車内とは別の関係と空間の規範にしたがった行為ともいえるだろう。たとえば、車内での通話時に顔をそむけて、口元を手でかくして通話する人びと(やそうした様子を描いたマナーポスター)が存在している。