隊の者はみな察知していた
吉村 みんな真っ青になっていましたか。
柳谷 非常に緊張していましたね。
吉村 柳谷さんは、それからラバウルへ引返したんですか。
柳谷 すぐには引返さず、訓辞を受けたり、たしか昼食もブインで食べたような気がする。しかし、何時に帰って来たかということは……。午後には間違いないんですが。
吉村 どんな訓辞があったんですか。
柳谷 訓辞というよりも、重大なことなのだから、一切他言するな、と。海軍だけではなくて全軍の士気に影響することも考えられるから、慎重な行動をとるようにという訓辞でした。
それからラバウルに帰って来て、基地の司令官に報告したんです。
吉村 柳谷さんはラバウルに帰ってどこにおられたんですか。自分の宿舎に帰ったんですか。
柳谷 いえ、すぐには帰らずに、飛行場の指揮所でしばらく待っておれということで……。そこで司令から、連合艦隊の重大な事故だから、宿舎に帰っても絶対に口外するな、と。全軍の士気に影響することだから、何かこちらの指示があるまで絶対に口外してはいかん、と。その訓辞を受けて待機所幕舎に帰ったわけですけれども、言うなと命じられたものですから言えないです。隊の者が「どうしたんだ」と言うものですから、全然言わないわけにもいかんので、P38の襲撃を受けて長官機が不時着したけれども大丈夫だったという程度のことを口にしましたよ。
しかし、隊の者は察知していましたね。不時着と言っても、落ちて炎上すれば、もう助かりませんし……。
吉村 話が前後しますが、ブインで不時着機を捜すという動きは、すぐにあったのでしょうか。
柳谷 偵察機が捜索しています。それからすぐに、陸海軍合同の捜索隊が向かっています。それは基地の指揮官が指揮してやっていることで、私たちにはわからないのですが、偵察に出たということは聞きました。その結果がどうなったかということは知りません。当時は、ほとんど何にもわかりませんでした。
吉村 その後、どうなさいました。
柳谷 20日に、また飛びました。
吉村 目的は?
柳谷 不時着機の捜索です。ブインとラバウルを往復しました。捜索は、奇襲を受けた私たちでないとわからんですから……。このときは宮野隊長が指揮官で、森崎中尉と私たちが行きました。
吉村 その後は?
柳谷 4月22日に、森崎中尉をはじめ護衛戦闘機隊の6名の者だけで、トラック島へゼロ戦を取りに行かせられました。九六式陸攻に乗りましてね。それでトラック島で、試飛行をやって、24日にゼロ戦をもらってそれを操縦してラバウルへ引返しました。
吉村 なぜ六名だけが、トラックに行ったんでしょう。
柳谷 ラバウルにわれわれがいると、なにかへたなおしゃべりでもされたら困るし、飛行機を取りにでもやらせろ、というわけなんでしょう。それに、悩んでいるわれわれの気分転換の意味もあったんだと思いますよ。
吉村 座をはずさせるというような……。
柳谷 そういうわけですね。いろいろ上層部の意志が働いていたかもしれませんね。