そういえば駅舎がずいぶん立派でしたが、その理由にも実は…

 実は、立派な面構えの駅舎も皇室と深い縁がある。

 いまの高尾駅の駅舎は、1927年に建てられた。ただし、その場所は高尾ではなく、新宿御苑の仮停車場だ。大正天皇の大喪の儀に際し、武蔵陵に向けて大喪列車が出発する駅として建設された。

1927年2月の大正天皇の葬列、当時の様子 ©時事通信社

 その後、駅舎が武蔵陵に近い高尾駅(当時は浅川駅)に移され、いまに続いている。総ヒノキ造りの立派な駅舎は、こうした経緯で高尾にやってきた。その意味では、高尾山の玄関口というよりは武蔵陵の玄関口というほうがしっくりくるのかもしれない。

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 駅前に戻って線路際の道を少し東に向かって歩く。すると、普通の道路とは少し違って、妙にくねくねとした遊歩道のような道に出る。小さな住宅がひしめくような中をくねりくねりと進んでゆくと、熊野神社という立派なお社の脇を抜けて甲州街道へ。

 

 甲州街道を渡った向こう側、ちょうど同じ場所には橋の欄干があるから、どうやらこの遊歩道は川にフタをするように設けられたものらしい。甲州街道沿いには「高尾駅への近道」といった案内があったから、まさにそのための遊歩道なのだろう。

 甲州街道に出ると、こちらは立派ないちょう並木になっている。さすが天下の国道20号、道幅も広ければ街路樹も荘厳で、交通量も多い。

 そして、この甲州街道の脇から北側に、並行するように少し細めの道が分かれてゆく。旧甲州街道ですよ、ということを示す案内板を見つけた。きっと、江戸の昔はこちらの細い道が甲州街道で、甲府と江戸を行き来する人たちが通っていたのだろう。いちょう並木の甲州街道はいわば新道だ。

旧道と新道が合流するあたりに何やら奇妙なオブジェが建っている。これは…

 せっかくなので、旧甲州街道を歩いて東に抜けてみる。

 旧道だからといって特別なことはほとんどなく、古い建物をセットバックでもしたのか、道幅も旧道というには広めだ。カーブを描くようにして進んでゆき、10分も歩くと再び甲州街道と合流する。この区間だけ、いったいどうして旧道と新道が分かれているのかはよくわからない(むしろ、旧道が直線的でないことが不思議だ)。