旧道と新道が合流するあたりには、何やら奇妙な形をしたオブジェが建っていた。近づいて見ると、なんと1964年の東京オリンピックに縁深いものだった。なんでも、このあたりが自転車のロードレースのコースになり、それをきっかけに住民たちによる環境美化運動が行われたのだとか。

 で、その運動の一環として、当時の浅川中学校の生徒たちによって制作されたのがこのオブジェ。なるほど、東京の端っこ、なんていうイメージの高尾の町も、戦後の東京が通ってきた「オリンピック」という一大イベントには深く関わっていたのだ。

 

かつてあった「皇室専用の駅」と平成の過激派テロ

 そんな新旧甲州街道の合流地点から、さらに少し東に向かって甲州街道のいちょう並木を進む。同じような立派ないちょう並木の大通りと交わる交差点の名は「多摩御陵入口」。ここを左に折れると、武蔵陵墓地の参道になっているようだ。実際、交差点の端っこには「武蔵陵墓地参道」と書かれた碑が建っている。

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 反対に東に曲がると、すぐに行き止まり。鉄の門扉の向こう側には空き地が広がり、その真ん中には1964年の東京オリンピック自転車競技の記念碑がぽつんと建つ。空き地の奥は、もう中央線の線路だ。

 

 この場所は、かつて東浅川駅があった場所だ。東浅川駅は、高尾駅の駅舎と同じ、大正天皇の大喪の儀にあわせて設けられた。高尾駅の駅舎は新宿御苑の仮停車場で、大喪列車の出発駅。反対に、東浅川駅はその終着駅として設置された皇室専用の駅である。

 東浅川駅は大喪の儀が終わってからも存続し、天皇皇后両陛下が御陵に親拝する折には原宿駅の宮廷ホームから東浅川駅まで御召列車を使ったのだとか。1960年に東浅川駅は廃止されてしまうのだが、その頃からは自動車を使うケースが多くなったようだ。御召列車を使う場合は高尾駅が御陵の玄関口になっていた。

 こうしたことからも、まさに高尾の町は御陵の町といっていい。ちなみに、東浅川駅の駅舎は駅廃止後も八王子市の所有に移って使われていたが、平成のはじめに過激派のテロにあって焼失している。