戸が1枚動くようになっただけで、気持ちが前を向くこともある
最初に作業をしたのは、玄関の戸が閉まらなくなった家だ。
崩落した壁を張ったり、バックリ割れた間から冷たい外気が入ってくる箇所を埋めたりした家もあった。
落ちた梁を戻して補強した建物もある。本格的に手を入れるか解体するかする前に、倒壊して被害が拡大する危険性を少しでも減らそうと考えた。
「個人のボランティアなので、できることはそれほど多くありません。でも、戸が1枚動くようになっただけで、気持ちが前を向くこともあります。『地震で散乱した家の片づけを、ようやく始めようという気になりました』と笑顔になる人もいました。微々たる作業かもしれませんが、気持ちが沈んだ被災地で、心の変化を作っていけたらいいなと思いました」と高橋さんは熱く語る。
奥能登の人は控えめだ。ボランティアへの依頼が次から次へと寄せられるわけではない。しかし、声を挙げないだけであって、埋もれたニーズは多い。
「一つの作業を頼まれて訪れると、ここも手を入れなければならない、あそこも直す必要があると、作業が増えてしまい、予定がほとんど立ちませんでした」と話す。
このため高橋さんは、「被害の聞き取りに歩き、状況に応じて専門ボランティアにつなぐコーディネーター役のボラティアがいたら作業がもっとこなせたのに」と思うこともあった。奥能登でもそうしたボランティアが入った地区では、復旧作業の早さが違ったようだ。
自分のことは顧みず、地区のために走り回っていた区長の家
高橋さんには気になることがあった。住民からの依頼の取りまとめに動いてくれた区長は、自分の家の修繕要望を出していなかった。軒並み家が損壊しているのに、壊れていないはずがない。
「直すところはないですか」と尋ねると、区長は「皆の家を直してもらいたいので、ウチはいい」と言った。被災地では大工が足りない。高橋さんの滞在中に、少しでも多くの家を修理してもらいたかったのだ。
群馬に帰る日が迫ってきた頃、高橋さんは区長の家を訪ねた。まだ地震発生直後のような状態だった。自分のことは顧みず、地区のために走り回っていたのである。「しかも、建具は全滅状態で、玄関の戸も開きませんでした。すごい人だなと思いました。『直させて下さい』とお願いし、この日は作業時間を延長して取り組みました」と高橋さんは話す。
群馬に戻ってからは、設計士の仲間と協力し、全てを失った人のために家電製品を集める活動を始めた。
その後も大工仕事を調整してボランティアに向かっている。珠洲市や輪島市へも活動の場を広げた。