マキ子の手記執筆を手伝った作家・山代巴は「ひとつの母子像」=『この世界の片隅で』(1965年)所収=で彼女のことを匿名で書いている。
彼女の乳腺は原爆に焼かれてなくなり、幼児は乳房のない胸に口を当てているのだった。被爆から3カ月も気が狂っていたので、治って7年もたつこのころも、時々気が変になるし、視力が衰えて、字を読んだり書いたりすることはできないと話した。瞳には2つとも星ができていた。ケロイドの体が恐ろしく見えるというので、風呂屋の主人からは入浴を断られていると言ったが、彼女をこのようにむごく扱うのは風呂屋ばかりではない。国家の政治そのものがむごく扱っている。
原爆裁判には、国からの支援が全くないまま放置された、こうした被爆者の思いがこもっていたといえる。原爆裁判を起こした岡本尚一弁護士の願いもそうだっただろう。
提訴から8年8ヶ月後…「原爆投下は国際法違反」
裁判は国際法学者の鑑定意見なども交えて審理が進み、判決が出たのは1963(昭和38)年12月7日。提訴から8年8カ月がたち、原告は5人になっていた。古関敏正裁判長、左陪席・高桑昭判事は途中からだったが、右陪席の三淵嘉子判事だけは最初から変わらなかった。ドラマでの「汐見圭」(演:平埜生成)と同様、実際も主文を後回しにして理由が先に読み上げられた。
同日付夕刊の朝日、毎日、読売3紙の主見出しは同じ「原爆投下は国際法違反」。脇見出しが「賠償請求は棄却 個人救済現行法に道なし」の朝日を見よう。
広島、長崎の被災者5人が被災についての損害賠償を求めて国を訴えた「原爆訴訟」の判決は7日午前10時すぎ、東京地裁民事24部、古関敏正裁判長係りで開かれ、「原爆投下は明確に国際法に違反する。しかし、被害を受けた個人が相手国に対して損害賠償を請求する権利は国際法上も国内法上も認められていない。原爆被害を受けた個人は、一般に現行法上、その損害賠償を請求する道はない」として請求棄却の判決を下した。原爆投下が国際法違反であることをハッキリさせた判決は世界で初めてである。
世界ではじめて出された判決の意義
この後の記事では、3人の国際法学者の鑑定が、国際法違反という見解ではほぼ一致したと記述。賠償請求権については、2人が「国の請求権放棄は正当」との判断だったとした。「判決では、原爆と国際法の関係では原告の主張、請求権問題では被告の主張を入れ」「原告側の主張は結論としてはしりぞけられたが、『被爆者の怒りを込めて、国際法違反の主張だけは通したい』と言っていた原告側にとっては、趣旨においては言い分が通った判決と言えよう」として、次のように締めくくった。
「戦後18年、ようやく忘れ去られるかに見える原爆問題が、法という土俵の上で再び取り組まれたこと、世界で初めて『原爆は違法』という判決が出されたこと。ここにこの訴訟の大きな意義があるのではなかろうか」