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ドラマにも登場した文章には…「政治の貧困を嘆かずにはおられない」

『虎に翼』の判決のシーンでは、要点をかいつまんでいるものの、被爆者援護に触れた末尾の「感想」は実際の文章がそのまま使用されていた。

 しかしながら、それはもはや裁判所の職責ではなくて、立法府である国会および、行政府である内閣において果たさなければならない職責である。しかも、そういう手続きによってこそ、訴訟当事者だけでなく、原爆被害者全般に対する救済策を講ずることができるのであって、そこに立法および、立法に基づく行政の存在理由がある。終戦後十数年を経て、高度の経済成長をとげたわが国において、国家財政上、これが不可能であるとは到底考えられない。われわれは本訴訟を見るにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられないのである。

NHK『虎に翼』公式Xより

 三淵嘉子本人は、この判決について何も語っていない。のちに広島市長になる平岡敬記者らが取材・執筆した中国新聞社編『ドキュメント中国百年〈第3部〉』(1968年)は、「原爆裁判」の項で、「判決文にあえてこの文章を付け加えさせたものは何であろう。それは、原爆と政治に対する人間としての怒りである」と記した。

 同書の中で古関敏正・元裁判長は「あの程度は書いてもいいんじゃないんですか。後で、裁判官はああいうものを書くものじゃないとか言われましたが……。訴訟をやっているうちに原爆への認識を深めましたし、言わずにはおられなかったんですよ」と語っている。嘉子も同じ気持ちだったのだろう。

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原爆訴訟の意義を伝える中国新聞の記事

大きな意味を持った原爆裁判

「原爆は国際法違反」としたこの裁判はその後、大きな意味を持ったといわれる。判決が促した被爆者援護は、提訴後の1957(昭和32)年に「原爆医療法」が、1968(昭和43)年には「被爆者特別措置法」が制定され、1994(平成6)年の「被爆者援護法」につながった。国際司法裁判所が1996年に出した勧告的意見も、原爆裁判の法理を取り入れたとされ、核兵器を違法とする2021年発効の核兵器禁止条約にも直結する。

原爆訴訟を支えた松井康浩弁護士を紹介する記事(読売)

 一方で、裁判中はあまり注目されず、いまも知る人は少ない。松井康浩弁護士は『ドキュメント中国百年〈第3部〉』で「もっと被爆者団体などと連携すればよかった」と反省の弁を述べている。 判決から60年余り。長崎の「被爆体験者」の一部しか被爆者と認めなかった最近の判決を見ても、被爆者援護はまだ十分とはいえない。