移植希望の登録
ーー5時間の透析を週3回。やめるわけにはいかない。
義太夫 やらないと死んじゃうわけですからね。「どうしても透析がイヤだったり、透析ができない状態になったら腎臓移植しかないですから」と言われました。最初の透析で入院して、退院のOKが出たときに「移植希望の登録をしておいたほうがいいですよ」とも勧められたけど、自分的に移植って怖くて登録しませんでしたね。
逃げ口上になっちゃうんですけど、移植しても10年経ったら、また透析をしなきゃいけないというのがあって。薬も飲まなきゃいけないし。
透析がスケジュールを左右する
ーー透析をしても移植をしても、大変ではあると。
義太夫 松原のぶえさんと、バッタリ会ったことがあって。松原さんは、移植されているんですよね。会ったのは移植前で「今度、弟の腎臓を移植するの」って。
いろいろ聞いたら、透析してると泊まりがけの仕事ができないと。たとえば、僕だったら月水金の週3回の5時間だから、やっぱりムリですよね。それで「営業に行けなくなっちゃうから、私は移植するの」と、おっしゃっていましたね。
ーーたしかに、芸能人の方は地方営業がありますもんね。
義太夫 お亡くなりになってしまいましたけど、ザ・ニュースペーパーの渡部(又兵衛)さんは透析しながら回っていたそうなんですよ。渡部さんも糖尿で、左足が壊死して義足になって。喫茶店でお会いしたときに、義足を外して見せてくれましたね。
渡部さんと対談させていただいたときに聞いたんですけど、透析クリニック同士の横の繋がりってすごく緊密だから、「いついつどこどこに営業に行くんですけど」って言うと、そこのクリニックに連絡して透析を受けれるようにしてくれるそうなんですよ。「だから、僕は国内だったらどこにでも営業に行けるんだよね」とおっしゃってましたね。それができるかは、個人の状態にもよるのかもしれませんけども。
ーー透析がスケジュールを左右することは、少なくないですか。
義太夫 週3日という時間を取られますからね。辛かったのが、蜷川幸雄さんとのお仕事。2001年に『真情あふるる軽薄さ』というお芝居に出してもらってから、蜷川さんにはお仕事でよく呼んでいただいたんですよ。やっぱり舞台って、稽古もあるし、1カ月とか2カ月とかスケジュールを空けなきゃいけないんですけど、それが透析でできなくなっちゃったから。
透析になって、蜷川さんにご挨拶にうかがったら「早く戻ってこいよ、お前」とおっしゃってくれたんですけど、「もう、戻れないです……」っていうね。ほんと、あのときは辛かった。