――その間、学歴をつけるために38歳で通信制の高校に通い、その後、佛教大学に入学されたそうですね。
糸井 通信制の京都美山高校を卒業して、41歳で佛教大学の社会福祉学部に入学しました。
――なぜ社会福祉学部に?
糸井 福祉を学んで障がいに対する知識をつければ、自分で自分を支援できるというか、もっと自分をコントロールできると思ったんです。
それと、障がい当事者だからこそ、障がいのことをもっと知って、語れるようになろうとも思いましたね。
「自分が行動的になっていった」大学生活を経験したことによる“変化”
――7年半かけて大学を卒業されたそうですが、大学に行ったことでご自身の中でどのような変化がありましたか?
糸井 大学のスクーリング(対面授業)には、いろいろな職歴、年齢、地域の人が参加していたのですが、それ以外は全部自学自習だったんです。だからテキストを読んで、レポートを書いて、試験を受けるのをひとりで繰り返していました。
クラブ活動をしていたわけでもなく、友達もいなかったから、大学生らしい大学生活じゃなかったけど、コツコツ目の前のことに取り組むことで、自分が行動的になっていった気がします。
――ご自身の変化を実感することはありました?
糸井 当時は大学に通いながら郵便局に勤務していたのですが、集荷をするために1日に100キロ以上、車で走っていたんですよ。そのときに、大学の勉強と同じように、仕事にもコツコツ取り組めるようになったなと感じました。
現在は、福祉施設の支援員として働いている
――現在は、社会福祉法人恩鳥福祉会が運営する福祉施設「ポプラの家」で働かれているそうで。
糸井 生活支援員として、利用者の方々の生活を介助したり、作業を支援したりしています。
――作業を支援。
糸井 例えば、知的障がいを持つ方が絵を描く際に、その作業をお手伝いさせていただいたり。最初は落書きのような感じで絵に見えないんですけど、私がそれを色分けして塗ったら、宇宙船に見えたり、人に見えたりするんです。
そうやって、利用者の方々の可能性を広げられるように作業を支援しています。