――その後、副咽頭間隙腫瘍の中でも悪性腫瘍の「横紋筋肉腫」だと分かって、抗がん剤治療へと向かうわけですね。
藤乃 12月中に(患部の組織を採取して行う)生体検査をするはずだったんですけど、年末だし「年明けになってしまう」と言われて。当時はもう口が少ししか開かず、食べ物も入らないほどだったので、きつかったですね。年末年始はグッと痛みを我慢して、1月の年明けに生体検査を受けたら、結果が出るのは「3週間後」と言われました。
でも、腫瘍の一部を切って縫ったときにさわったがん細胞が悪さを働いたのか、腫瘍がピンポン球ぐらいの大きさにはれあがっちゃって。仰向けになると息苦しいし、目で見て分かるぐらいにはれあがっていて、先生からは「腫瘍が大きくなるスピードが速すぎる。あと1週間発見が遅れていたら、窒息死していたかもしれない」と言われました。
抗がん剤治療まで、本来は1ヶ月ほどの準備が必要らしいんですけど、余裕がないので先生が「すぐに抗がん剤治療をやろう」と提案してくれて、3~4日ほどの準備で、1月末頃には入院して抗がん剤治療がスタートしました。
抗がん剤治療を控えながら仕事を続けたワケ
――11月から年明けの1月まで検査のために走り回って、その間も仕事は続けていたんですよね?
藤乃 決まっているイベントがあったし、ファンの方々も楽しみにしてくれていたので、「年内の仕事はがんばろう」と思って続けていました。
――将来、仕事ができなくなるかもしれないという不安は?
藤乃 発覚した時点では「続けるし、復帰する!」と意気込んでいたんですけど、実は、抗がん剤治療中にメンタルが崩れてしまって「続けられるんかな。どうしよう、辞めて石川に帰った方がいいんかな……」と思う時期もありました。
24歳の11月にファンクラブを設立したのですが、立ち上げてすぐに検査や抗がん剤治療がスタートしてしまったし、何もできていなかったので、待っていてくださるファンのみなさんのためにも「復帰したい!」と思いました。
撮影=橋本篤/文藝春秋