仕掛け人の瀬川はフロアの反応を見て、「よっしゃー!」とガッツポーズを取った。そして、この出来事をきっかけに、IT業界に対する瀬川のモヤモヤした感情が明確な像を結ぶようになっていったのである。
「100人全員を笑顔にした風船の威力は、すごいと思いました。同時に、自分の仕事は誰も笑顔にしていないことに気づいたんです。つまり、僕のやってきた仕事は、人を笑顔にするという点では、たった4つの風船に負けていたということなのです」
筆者は「人を笑顔にする」という紋切型の表現があまり好きではないが、瀬川がIT業界に感じていた「しんどさ」が深刻なものだったからこそ、しんとしたオフィスにわき起こった100人の笑い声が、ひときわ胸に響いたのだろうと想像する。瀬川はそれほどまでに、人が辛そうに仕事をしている姿を見るのが耐えがたかったのだろう。
「迷惑です」と言われないと嫌がっていることに気づかない前向きさ
この風船事件からしばらく経って瀬川と宮本は婚約し、揃ってシナジーマーケティングを退社することになった。
瀬川は宮本の母親に結婚の許しをもらいにいき、こんな口上を述べたという。
「お嬢さんをください。因みに、会社は辞めます」
件のコテコテの大阪人だった宮本の父親は残念なことにすでに亡くなっていたが、もしも存命中だったら、「会社は辞めます」という瀬川の言葉を聞いて、ちゃぶ台をひっくり返したかもしれない。
宮本はいったい、瀬川のどこに惹かれたのだろう。
「瀬川は、いつも自信がなくて委縮して生きてきた自分と正反対の人です。いつも根拠のない自信にあふれていて、全てにおいて前向き。私が本当に嫌だと思うことを嫌だと言っても、『そんなん言っても、ほんまは嫌じゃないやろー』って、自分が相手に勧めることは、絶対相手にとっていいことだって信じて疑わない。だから、本当に嫌な時は『迷惑です』まで言わないと、伝わらないんです(笑)。そういう自分にはないストレートな前向きさがうらやましいし、正反対の性格だから、かえってバランスがとれるのかなと思ったんです」