瀬川は約束通り卒業を果たし、慶應義塾大学理工学部に進学することになったのである。
厳しい家庭で育った妻
この間、同世代の宮本は何をしていたのかといえば、やはり自営業者でコテコテの大阪人だった父親にひたすら怯えながら、委縮した学生生活を送っていたという。
「門限は6時と決められていて、髪型もショートカットしか許されませんでした。大学に入っても、アルバイトは家庭教師や学童保育の手伝いしか認めてもらえず、帰りが遅くなるとバイト先に父親が『娘を何時まで働かせるんや!』って怒鳴り込んでくるんです(笑)」
ガストでバイトをしたいという宮本に「ファミレスなんて水商売や!」と言い放ったというからなかなかのお父さんだが、大学で学園祭の実行委員をやった経験が宮本のコミュ力をアップさせ、友人がたくさんできるきっかけになったという。
「実行委員をやったお蔭で、自分の明るい部分が増えて、成長できたのかなと思います。そのせいでしょうか、就職氷河期だったにもかかわらず、10社近くから内定をもらうことができたんです」
人が決めたルールに従うのが嫌
一方の瀬川は、大学の研究室でも破天荒ぶりを発揮しまくった。
自動車エンジンの研究をメインとする熱力学の研究室に入ったものの、実験グループに組み込まれたことが面白くなく、わずか3日で教授からクビを宣告されてしまう。先輩から指示された通りの実験をやることが嫌で、それが態度に出てしまったらしい。
「実験をやる代わりに、すでに卒業した先輩がたった1人で研究していた天然ガスの熱力学特性の研究論文を教授から渡されて、続きをお前がやれと言われました。この研究のためにAIと統計を勉強したことが、後にFULL KAITENの開発に生きてくるんですから、ほんま、人生にムダはないんですよ」
とにかく瀬川は、人に指示されるのが嫌、人が決めたルールに従うのが嫌な人間であるらしい。
「なにしろ奈良県の大和郡山という田舎に生まれて、両親はいつも仕事でいなかったので、遊びでも何でもすべて自分で考えて、すべて自分で工夫してやっていたんです」