月商たったの9万円で、納豆と豆腐を食べる日々
ハモンズの商品は、売れなかった。
サイト開設当初は、月次の売り上げが9万円ほどしかなく、到底、月15万円の家賃を払い続けることはできなかった。見るに見かねた宮本の母親が、自宅の2階を事務所として貸してくれることになった。
2万円ほど家賃を入れたものの、瀬川の立場はほとんど居候である。
「お母さんがテレビを見てはる前を、すんませーんお風呂いただきますなんて言いながら、腰をかがめて通ったりしてましたね(笑)」
食事は、納豆と豆腐ばかり。しかし、そこまで切り詰めても生活は厳しく、売り上げは一向に伸びず、設立から1年も経っていない2012年12月に会社の預金残高が200万円になってしまった。
「どんどんお金が減っていく恐怖を、生まれて初めて味わいました。注文が来ないから何もやることはないのに、デスクにしがみついていないと不安で不安で仕方がないんです」(瀬川)
宣伝を打たないからサイトに客を誘導することができない。それが、ジリ貧の原因だったが、資金が減り続ける状況下では、大金をかけて宣伝を打つ勇気を持てない。
「もう、苦しくて苦しくて、どこかからお金を借りようと決心しました」
初対面の大人の男2人が涙を流す異様な光景
瀬川が一縷の望みを託したのは、信用保証協会だった。信用保証協会が保証人になってくれれば、実績のない零細企業でも、銀行など民間の金融機関からお金を借りられる可能性がある。ただし、当然のことながら厳しい審査がある。
瀬川が審査を申し込むと、数日後、宮本の実家の2階に信用保証協会の職員が現れた。年齢は40代の前半ぐらい。髪を七三に分けた、ぽっちゃりした人物だった。
長テーブルの向こう側から、業務内容などに関する一般的な質問をひと通りされたが、職員氏は保証をつけるか否かの決め手を探しあぐねているようだった。
彼の口から、キラー・ワードが飛び出した。
「会社を作って、どうでしたか?」
瀬川は虚を突かれた。
本音を言えば、後悔の念もあったのだ。日々お金がなくなっていく不安、倒産するのではないかという恐怖を考えると、どう答えるべきか迷った。しかし、瀬川の口から出てきたのは、自分でも意外な言葉だった。