第一作の『萩を揺らす雨』でも児童虐待の問題を扱っていますし、社会問題や政治の話をするのは、日常では普通のこと。小説の中でそれを排除するのは、逆に不自然だと思うんです。
エリザベス・ストラウトの『オリーヴ・キタリッジの生活』という小説がありますね。人間の生活を描いていて、夫婦、家庭の問題や、息子との関係、地元の人たちとの問題もある中に、政治や宗教の話も語られている。「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズを数冊刊行するまで読んでいなかったので、参考にしたわけではないのですが、のちに翻訳を読み、こういう叙述の仕方ってあるよね、と背中を押されたというか、励まされました。
――初めて書いた小説が新人賞を受賞、そのままシリーズ化して20年にわたり書いていただきました。
吉永 夫が仕事先から古いパソコンをもらって帰ってきて、そのまま置いておくのもなんだしな、と思って書き始めたのがきっかけでした。それがこんなに長く続いて、自分でも驚きです。いま思うと笑っちゃうんですけど、新人賞の規定とかもあまり調べなかったので、書いたものをプリントアウトして、製本テープで製本して送ったんですよ(笑)。まとまった量の文章を出すのは卒論以来だったので、その要領で応募してしまって。
――20年の間に起きた変化はありますか?
吉永 『萩を揺らす雨』には5編の短編が入っていますが、その頃には私とお草の間に距離がありました。イメージとしては、家の中に一人でいるお草の表情を遠くから眺めていて、それをスケッチしているような……。シリーズ化しようと思って書き始めたものではないので、書き終えたときに「シリーズに」と声をかけていただいても、どうしたものか、と悩んだのを覚えています。
連作として、2作目、3作目を書くにあたっては、頭の中を整理して、ぐっとお草の近くに寄って――彼女の1mくらいのところにずっとよりそって、一緒に生活したり、ため息をついたりする感じでした。
私自身は虚弱体質というか、体力も気力も乏しいほうで自分にも甘いので(笑)、定期的なお仕事を果たしてできるのか、というのは不安だったんです。完全なモデルというわけではないですが、着物姿でちゃきちゃきお店を回すおばあさん、というのは私の祖母の姿の投影でもあって、私自身、書きながらお草に支えてもらった気持ちです。