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泣いて家に帰り「もう将棋をやめる」

――冨田さんにとって、奨励会とはどのような場所でしたか。

冨田 入った時は強いと過信していましたが、5級へ上がるのに1年かかりました。その瞬間だけを切り取ると「今までで一番きついのでは」という思いを繰り返していましたね。例会で3連敗すると泣いて家に帰り「もう将棋をやめる」としょっちゅう親に言っていました。でも、今の視点で振り返ると級位者時代の苦しみなんて、全然大したことじゃないんです。三段までは楽しくやっていたと思います。

――冨田さんが三段に昇段されたのは17歳の時でした。まずまず速いペースだったのではと拝察します。

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冨田 転機としては中学3年の時でしょうか。初段まで上がっていましたが、その時は高校へ行きたくないと思っていました。ですが母から「高校は卒業して」と言われて。結果的には高校へ行ってよかったと思います。初段では苦労しましたが、高校で職業インタビューというものがあり、そこで当時新四段の斎藤さん(慎太郎八段)に話を聞く機会があったんです。その話で将棋について深い視点で考えていると感銘を受けました。斎藤さんに話を聞いてからは割とすぐに二段、三段へと上がれました。また斎藤さんから研究会にも誘っていただき、当時のメンバーが折田さん(翔吾五段)と藤原さん(結樹さん。元奨励会三段で、のちにアマ竜王)で、メンバーは色々と変わりましたが、斎藤さんには今でも研究会でお世話になっています。

――後で改めてお聞きしますが、斎藤八段には昨年のABEMAトーナメントでドラフト選出されましたね。

冨田 最初に通っていた森安道場にも関係があるんですよ。斎藤さんは森安一門系列ですが(森安七段―畠山鎮八段―斎藤八段という師弟関係)、級位者の頃、当時の奨励会幹事だった畠山先生に「森安研へ行ってみたら」と声をかけてもらったんです。初めて参加した研究会で三段の斎藤さんに勝つことができました。斎藤さんにしても年下の級位者に負けるなんてめったになかったでしょうから、それもあって高校時代のインタビューをお願いしやすかったんです。色々とのつながりで運にも恵まれましたね。