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第32回小学生名人戦には、強いメンバーがゴロゴロ…

――奨励会へは小林健二九段の門下として、小学6年生の2007年に6級で入会されました。

冨田 最初に通っていた森安道場には同世代の子がいなかったんです。平手で強い同世代と指したい思いがありました。関西将棋会館の道場にも行っていましたが、師匠の教室は会館の近所にあって通いやすかったんですね。4年生の頃に通い始めました。その時は兄弟子の池永さん(天志六段)がいて、しばらくしてから古森君(悠太五段)も入ってきました。

 師匠の教室に通い始めてからは色々な将棋大会で優勝できることが増え、自然に奨励会を目指す感じになりました。小学生の大会というと、やっぱり小学生名人戦が一番大きく、そこで優勝して奨励会へ入りたいという思いがありました。参加できる最後の年の07年では兵庫県大会の決勝で出口君(若武六段)と対戦し、勝って代表権を獲得しました。

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――07年の第32回小学生名人戦の各県代表者をみると、後にプロになったメンバーには冨田さんの他に、増田康宏八段、近藤誠也七段、佐々木大地七段、本田奎六段、古森悠太五段、山本博志五段、黒田尭之五段、宮嶋健太四段の名前がありますね。

冨田 強いメンバーがゴロゴロいますよね。でも当時は出口君に勝ったことで「西日本大会も余裕だ」と思っていました。近藤君の名前は知っていて、決勝で「誠也」対決になったらすごいことになると浮かれていました。

――ですが、西日本大会の決勝で古森さんに敗れました。東西大会の決勝は、ベスト4入りがかかっており、またベスト4からはNHKの放映もあることで大きな勝負でした。

冨田 当時の下馬評では私の方が強いと言われていたんです。大勝負の1週間前に筋違い角を古森君と指してド快勝、これは味がいいと思って本番でも採用したらきっちり対策を練られて負けました。もう2時間くらい号泣していましたね。関西将棋会館の窓を開けて下に飛び降りようとしたくらいです。さすがに周りに止められましたけど。

 その時の審判長が師匠だったので、すぐ母にメールが来ました。「悔しさをバネに強くなってほしい」と。この年に奨励会試験を受けて、私が合格、古森君は不合格でした(古森五段の奨励会入会は翌08年)。師匠はこのことを引き合いにして「負けたから強くなれるんだよ」と子ども相手の指導でよく言っています。