心配されたが、手綱を手に並んで歩きはじめたら、みるみる不安は薄れていった。
「大人しいので、たぶん大丈夫です」
それは思い違いではなかった。ラッキーハンターは、馬場に出しても終始穏やかだった。鞍に慣らすために、ポンと勢いをつけて腹這いで背中に乗っても平然としていた。なんてかわいいのだろう……! 出会って早々、林さんはすっかり心奪われてしまった。ラッキーハンターは、とにかく“いつも楽しげな馬”だった。馬房の前を通るたびに、嬉しそうに通路に顔を出しながら「僕ここにいるよ」「遊ぼうよ」「その人は誰~?」「ねえ、ねえ、何してるの?」といった言葉が聞こえてきそうだった。
社交的や人懐っこいという言葉だけでは表現しきれない愛嬌があり、そう感じたのは林さんだけではなかった。函館競馬場では、レースの日程に合わせて全国から集まった厩舎スタッフと馬が同じ施設を使用して、調整やトレーニングをおこなっている。通路を行き来する他の厩舎スタッフにも頻繁にアピールするラッキーハンターに、注目が集まるまで時間はかからなかった。
「おまえのとこの新馬、めっちゃ可愛いな!」
馬を見慣れた競馬関係者でさえ驚くほどの、愛されオーラだった。特に並びの馬房を使用するほかの厩舎のスタッフは「かわいい」「癒される」とメロメロになった。
競走馬デビューを目指すためのトレーニングは、牧場時代にくらべると格段に厳しい。まだ体力がなかったラッキーハンターは、一日が終わるとクタクタで、馬房に戻ると完全に横倒しになって熟睡していたという。新馬は緊張のあまり、疲れていても休息や睡眠がしっかり取れないことがある。しかしラッキーハンターは最初からオン・オフの切り替えがしっかりしていて、担当としても安心できた。たいていの馬は、人の気配があれば気づいてすぐに身を起こす。だが清潔な敷き藁をたっぷりと敷き詰めたフカフカのベッドで、寝息を立てるラッキーハンターからは、完全にリラックスした空気しか感じられなかった。
その様子を見て、林さんはある挑戦を思いついた。
「僕、ラッキーの隣で寝られるような気がするんです」
「そんなことして、大丈夫か?」
親しくなった先輩は心配したが、ゆっくりと馬房に入るとラッキーハンターは少し頭を上げただけだった。投げ出された四肢に力が入る気配はなく、どこを撫でてもされるがままだ。林さんがその横に静かに腰をおろして少しずつ馬体に体重を預けてみると、ラッキーハンターもそれを自然に受け入れた。
「すげーな!」
先輩は写真を撮りながら心底驚いていたが、それは林さんにとっても初めてのことだった。
ラッキーハンターは“犬っぽい馬”
私は、なぜラッキーハンターに惹きつけられたのか。林さんから現役時代のエピソードを聞きながら、ひとつの疑問がスルスルと解けていくのを感じていた。ラッキーハンターの行動や人に対する反応は、はっきりいってかなり犬っぽいのだ。
あらゆる動物のなかで、犬ほど積極的に人間とコミュニケーションを取ろうとする生き物はおそらくいないだろう。生まれながらにして、人が指さすものに注目する能力を持つのは、人間と犬だけといわれている。また最近の研究結果では、信頼関係が築けている人と犬は、見つめあうだけで脳内でオキシトシンというホルモンが分泌され、お互いの絆が深まることもわかっている。
人間への好奇心が旺盛で「遊ぼうよ」「それ、なーに?」と常に楽しそうにアピールし続けることは、もっとも犬らしい犬の基本行動だが、これは新馬時代のラッキーハンターのエピソードとピッタリ重なっている。犬っぽい猫や、猫っぽい犬がいるように、おそらくラッキーハンターは犬っぽい気質が強い馬で、そんなところが馬の知識ゼロの私にも親しみやすかったのかもしれない。林さんによるラッキーハンターの逸話は、聞けば聞くほど犬を連想させるものだった。しかも並の犬ではなく、突出して大らかなタイプだ。