「嘘を言ってくれと頼まれた」同僚の証言に注目
公判はアメリカメディアも「公正」と折り紙をつける慎重さで進んだ。「公務中の偶発事故」と主張する被告・弁護側だったが、9月24日から3日間の実地検証で、ジラードの同僚で事件現場にいたニクル三等特技兵が「ジラードはいたずら半分だったと思う」と証言したのが注目された。ニクルはその後も法廷で「ジラードは女性を追いかけて発砲した」と供述。
距離も被告・弁護側の主張より「短かった」とした。さらに「事件は休憩中だった」「発砲後、ジラードから『嘘を言ってくれ』と頼まれた」「置いてあった機関銃の位置を変えた」などの証言を続けた。審理は「罪証ほぼ確定的 証言全部ジラードに不利」(10月6日付毎日朝刊)な展開に。
懲役3年、執行猶予4年の判決に…「無罪と同じです」
10月31日の求刑で検察側は傷害致死で懲役5年を求めた。「無罪か公訴棄却」を求めた最終弁論の後、11月18日付上毛朝刊は「実刑か、それとも情状や背景などが加味されて執行猶予になるかどうかが最大の焦点」と書いた。
そして11月19日の判決。懲役3年、執行猶予4年が言い渡された。判決の評価は「検察側の主張通る」(同日付上毛夕刊)、「執行猶予は意外(前橋地検検事正)」(同朝日)、「ほぼ予想通り」(同毎日)、「寛大すぎるぐらい(NANA通信社特派員)」(同読売)と微妙なトーンの違いはあったが、毎日に載っている検察側の感想が最も現実的なようだ。「執行猶予がつけばすぐ本国送還となり、何の意味もなさない」。
なかの次女が報道陣に囲まれ「執行猶予がついたということは無罪と同じです。これでは罪の償いはできないと思います。法廷では真実を語ったとは思えません。死んだ母が全くかわいそうです」と不満をぶちまけた(読売)。
翌11月20日の各紙社説は一定の好感をもって受け止める論調が強かったが、それでも毎日の見出しのように「ジラード判決は軽すぎないか」というのが国民の多くの実感だった。
朝日の記者座談会では、裁判長がジラードやアメリカ側傍聴者に寛容で日本人証人に厳格だったことなどを挙げ、「日本の裁判は野蛮」というアメリカの世論を意識しすぎた結果、「“アメリカに見せる裁判だった”と言われても仕方がないだろう」という意見が出た。検察側、ジラード側の双方とも控訴せず、刑は確定。三等特技兵から兵卒に降等されたジラードは12月6日、ハルとともに日本を去って行った。
判決翌日の11月20日付上毛夕刊1面トップは「ワシントン共同電」で、アメリカ国務省関係者が「ジラードに軽い判決が下りた以上、日本人戦犯が近く釈放される可能性は増大した」と述べたと伝えた。太平洋戦争で戦犯とされた日本人のうち、A級戦犯は既に全員釈放されていたが、BC級戦犯はまだ獄中にあった。




