しばらくその場から動けずに呆然としていると、見知らぬ番号から着信があった。電話に出ると、相手は『別冊文藝春秋』の編集長だと名乗り、一度本社で会えないかと言ってきてくれた。きっと、この世の終わりみたいな声で粘りに粘った僕を見兼ねて、温情で一度会ってくれるのだろうと思った。

 そして落選通知を受けた数日後、文藝春秋社へ向かい、その場で小説家デビューの打診を頂いた。

「この小説は、今出すべきです」という編集長からの身に余る言葉に頭を下げながら、なんと返そうか実は考えあぐねていた。

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 正直に言うと、少し迷った。電話口では散々粘りに粘ったくせに、短い時間ながら真剣に悩んだ。新人賞も獲得しないで生き残っていけるのか。松本清張賞受賞作として華々しくデビューした方が良いんじゃないか。色んな考えがその場で頭を駆け巡った。

 決め手は、後に担当編集者となる川村さんの言葉だった。

「ものすごく面白かったです。この小説を読んで、麻綾は私だと思いました」

 それを聞いた瞬間、もう、それだけで十分だと思った。

 受賞していなくてもいい。自分の考えた「これ、面白くないすか?」は、とっくに誰かに届いていた。その事実だけで、もう十分だった。

 よろしくお願いします、が自然と口から出てきていた。この小説を書いて良かったと、心から思った。

『高宮麻綾の引継書』は、事業構想をめぐる物語だ。仕事や組織の中で「何くそ」と一度でも思ったことがある人にはぜひ手に取ってほしい。モヤモヤを吹き飛ばす、超絶スカッとお仕事小説に仕上がったと思っている。

 尖りすぎたハリネズミのような社会人3年目、主人公の高宮麻綾はしょっちゅうピンチに陥る。「これはチャンスだから」と横から言おうものならぶっ飛ばされてしまいそうだが、そんな彼女の「何くそ」が周囲の人たちをも巻き込んで否応なしに動かしていくのを、一緒になって楽しんでいただけたら嬉しく思う。

 仕事と小説の二足の草鞋、まだデビューすらしていないのに正直もう結構ギリギリだ。兼業作家ってみんな化け物なんじゃないか。誰か、「実はそうだよ」と言ってほしい。ぶっちゃけこれピンチだなと思う度、「……ってことは、今めっちゃチャンスじゃん?」と都合よく解釈していきたい。

高宮麻綾の引継書

高宮麻綾の引継書

城戸川 りょう

文藝春秋

2025年3月6日 発売