根岸吉太郎監督が『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』以来16年ぶりに製作した映画『ゆきてかへらぬ』は、中原中也と小林秀雄、長谷川泰子の出会い、そして詩人、文芸評論家、女優として世に立つまでを映している。

「近代文学史上、大きな存在の中原中也や小林秀雄を取り上げた作品はいくつもありました。ただ、そこで実名ではなく名前を変えて描かれることが多かったのは3人の関係への配慮があったからでしょう。今回そういうことは気にしないようにしました。演(や)るのは現代(いま)を生きる俳優なんだから、史実や時代に囚われると話が縮こまってしまう。そこは“半分現実”ならいいんじゃないかと、物語としてのバランスを考えました」

根岸吉太郎監督 ©2025「ゆきてかへらぬ」製作委員会

 京都。20歳の長谷川泰子(広瀬すず)は、17歳の中原中也(木戸大聖〈きどたいせい〉)と出会う。言葉を、心象(イメージ)を求め、詩作に耽る青年と、女優を夢見ながら無為に生きる女が狭い家作の2階で雌伏の時を過ごす。

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 やがて東京に上ったふたりはある人物と出会う。中也にとっては詞藻を評しあう友であり、泰子にとっては美しいものの本質を見抜く眼をもつ、文芸評論家の小林秀雄(岡田将生)に――。それぞれに男であり、女でありながら、それ以上に関係しあっていく。

「この物語でフィーチャーしているのは長谷川泰子です。彼女を通すことで、中原中也と小林秀雄も見えてくる。ただ、3人の映り方はどこか客観的であるかもしれません。でもそれが彼女を浮かび上がらせることにもなる」

 2人のあいだを漂う泰子は、時おり精神の地金を覗かせる。それは過去、彼女の人生を通り過ぎた者が焼きつけた黒く大きな影である。その者たちを演じる、トータス松本、瀧内公美、草刈民代らは、口数は少ないものの、強烈な佇まいで現れ、去ってゆく。

「泰子が泰子たるものになった理由、その過去の出来事が所々で入ってきます。そこに登場するどの役者も観た方に強い印象を残すやもしれません。それは広瀬さんの眼にも同じように映ったでしょう」

©2025「ゆきてかへらぬ」製作委員会

 大正末期から昭和初期までの十数年の世界が、128分の作品の中を流れていく。根岸監督は、その世界の空気を、「いつ」「どこで」と“刻む”ことなく、流れとして見せている。

「大正デモクラシーによる民主的な高揚感や戦争への傾き、そういうものが漂う時代ではありますが、そこを強調すべきなのかは考えました。話が“そちら”に行ってしまうので。この作品は、世界が不穏であっても、平穏に身を置く中原中也と小林秀雄、長谷川泰子が、時間の経過ではなく人間の関係性で生身を変化させる姿を見せたいのです」

ねぎしきちたろう/1950年生まれ、東京都出身。早稲田大学第一文学部演劇学科卒業後、日活へ入社。78年、『オリオンの殺意より、情事の方程式』で初監督。『遠雷』(81年)でブルーリボン賞監督賞、芸術選奨新人賞受賞。2009年、『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』でモントリオール世界映画祭最優秀監督賞受賞。他にも多くの映画作品を監督している。

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映画『ゆきてかへらぬ』
2月21日(金)、全国公開
https://www.yukitekaheranu.jp/