雑踏の中を1人の女が歩いてくる。たどり着いたのは、かつて精神科医院だった丘の上の洋館だ。今は無人で静まり返っているが、「ねえ先生」と彼女は話し出す。まるで館内に残る主治医の魂に語りかけるかのように自身の半生を赤裸々に、直截的な言葉で明瞭に、自問や自嘲を交えながらも朗らかに。しかしそれは、あまりに悲惨な内容で――。
映画制作に携わって半世紀、主にはプロデューサーとして数々のヒット作を世に送り出してきた奥山和由さん。その奥山さんが約30年ぶりに監督を手がけた新作『奇麗な、悪』は、中村文則さんの短編小説「火」を原作とし、今最注目の女優・瀧内公美さんを主演に迎えた渾身の一作だ。
と言っても、セリフはすべて主人公の一人語りとして書かれた原作通り。画面に登場するのもほぼ瀧内さんのみの一人芝居である。さらに舞台の大部分が洋館内で、その間、大きなアクションはない。つまり観客は、訳あり女の静かな独白に、ひたすら耳を傾ける76分間となる。
「変な映画でしょ? だからヒットするとは努々(ゆめゆめ)思っていません(笑)。ただ“必ず響く人はいる”という妙な自信はあるんです。万人に受けなくてもいい。でも“その人”にとっては、生涯で唯一無二の1本になるはずだと。これが今、僕が本当に作りたい映画って何だろう? と自問して出した、ひとつの答えです」
そうして、稀代のヒットメーカーは語り出した。
“Aに捧ぐ”の意味
「本作の冒頭に入れた一文、“Aに捧ぐ”のAとは、この作品を深く感受してくれるであろう不特定のその人を指しています。これは、それまでの僕とは、ある意味、真逆の発想でした。以前の僕は――そして現代映画の多くは、一人でも多くの観客に納得・共有してもらえる、わかりやすい映画を目指してきました。人気の役者、話題の原作、ご存知の監督を集めて作る興行成績も上々な映画こそ、正しい映画だとして。ところが、その価値観は今やどん詰まりに来ているように思えてならないんですよ。そうしたわかりやすい映画にしか、人々が反応できなくなっていることにも違和感を覚えます。もしかして、この息苦しいストレスフルな社会の原因の一端は、そこにあるんじゃないかと思うほどに。
一方、AIによる映画制作の可能性がしきりに取り沙汰されていますよね。要は情報の蓄積ですから、そこから結論を導き出せば、大衆向けの娯楽映画ならあり得るかもしれないと思います。でも、本来の映画の魅力とは何か? 僕たちは映画の何に惹かれているのか? 例えば、不条理だけども魅力的な人間、理由はわからないけど人間っていいなあと思える感覚、はっきり言葉では言い表せない物語の面白さなど……そんなものだったように思うんですよ。そして、それは到底、AIには作れないものです。ということは、やはり映画の魅力は人間ということになる。
そこで、今だからこそ改めて、生々しい人間を丸ごと捉えてみたい、しかも、ものすごく不条理な話の中で描いてみたい。大勢の観客に向けてではなく、どこかで圧倒的な不条理にさらされている孤独な“A”ひとりに向けて――。そんなことを考えているうちに、この原作小説のことを思い出したんです」