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「通俗作家など…」“批評の神様”小林秀雄は、なぜ“大衆作家”菊池寛を頼るようになったか

2022/09/28

小林秀雄と菊池寛。二人の知られざる「敬意と絆」の物語――。9月7日、著書「小林秀雄の『人生』論」で山本七平賞奨励賞を受賞した文芸批評家・浜崎洋介氏による「小林秀雄と文藝春秋」の一部を転載します(文藝春秋2022年10月号より)。

菊池寛が好きだった「我事に於て後悔せず」の真意

 小林秀雄の代表的エッセイの一つに「私の人生観」がありますが、年譜を見ると、それは小林が戦後初めて取り組んだ纏まった仕事だったことが分かります。

 昭和23年11月10日、新大阪新聞社主催の講演会で「私の人生観」を講演した小林は、その翌年、それに修正を加えたものを『文學界』(7月)、『新潮』(9月)、『批評』(9月)に分載し、さらに加筆したものを、同年10月『私の人生観』として創元社から刊行します。

文藝春秋文化講演会での小林秀雄

 ということは、文庫本で80頁にも満たない講演録の修正に、小林は、およそ1年間を費やしたことになります。実際、後に、この講演録は「戦後の小林の立脚点を集約的に示す評論として、第二の『様々なる意匠』〔小林秀雄の文壇デビュー作〕とも言うべき位置を占め」るものになります(吉田凞生「『私の人生観』私見」昭和44年、昭和56年改稿、〔 〕内引用者、以下同)。

 ところで、ここで興味深いのは、講演のクライマックス部分で、突然、小林秀雄が、菊池寛の名に言及していたことです。小林は、次のように切り出します。

「宮本武蔵の『独行道』のなかの一条に『我事に於て後悔せず』という言葉がある。菊池寛さんは、よほどこの言葉がお好きだったらしく、人から揮毫を請われるとよくこれを書いておられた。〔中略〕これは勿論一つのパラドックスでありまして、自分はつねに慎重に正しく行動して来たから、世人の様に後悔などはせぬという様な浅薄な意味ではない。今日の言葉で申せば、自己批判だとか自己清算だとかいうものは、皆嘘の皮であると、武蔵は言っているのだ。〔中略〕昨日の事を後悔したければ、後悔するがよい、いずれ今日の事を後悔しなければならぬ明日がやって来るだろう。〔中略〕後悔などというお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、〔中略〕それは、今日まで自分が生きて来たことについて、その掛け替えのない命の持続感というものを持て、という事になるでしょう。」

 ここで重要なのは、この講演会の8カ月前、小林が言及している菊池寛が亡くなっていたことです。