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「一流作品」が見つからない

 たとえば、デビューから4年後、ということは文芸時評を担当してから3年後、「批評について」(『改造』昭和8年8月)のなかで、小林秀雄は次のように書いていました。

「正当な鑑賞のない処に批評は成りたたぬのは論をまたないが、文芸時評という仕事では、この正当な鑑賞という土台が既に事実上全く出鱈目である。作品を諒解する深浅は、成る程批評家の賢愚に準ずるが、これは大した問題ではないので、賢であれ愚であれ、一流作品の前では批評家は皆一応は正直な態度を強いられるものだ。」

 小林によれば、誰もが納得せざるを得ない「一流作品」が見つからないことと、それゆえに、文芸時評の明確な「土台」が見出せないこととは同じ問題でした。「名作」が見つからないからこそ、人々は、いつまでたっても「意匠」に囚われてしまうのであり、それが文学界に「混乱」を齎しているものの正体ではないのかと言うのです。

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 では、なぜ、批評家に「正直な態度」を強いる「一流作品」は生まれないのか。小林によれば、それは、現代作家が、すでに「故郷」を失っていたからです。

「批評について」が書かれる3カ月前、小林秀雄は、「故郷を失った文学」(昭和8年5月)というエッセイを『文藝春秋』に発表していましたが、そこで議論されていた主題こそ、まさしく名作を生み出し、それを鑑賞する「土台」を失くしてしまった「抽象人」の問題でした。

「私の心にはいつももっと奇妙な感情がつき纏っていて離れないでいる。言ってみれば東京に生れながら東京に生れたという事がどうしても合点出来ない、又言ってみれば自分には故郷というものがない、というような一種不安な感情である。〔中略〕自分の生活を省みて、そこに何かしら具体性というものが大変欠如している事に気づく。〔中略〕この抽象人に就いてあれこれと思案するのは確かに一種の文学には違いなかろうが、そういう文学には実質ある裏づけがない。」

「文明開化」「富国強兵」の掛け声と共に、猛スピードで西欧化を推し進めてきた近代日本は、小林秀雄の言うように、「物事の限りない雑多と早すぎる変化のうちにいじめられて来たので、確乎たる事物に即して後年の強い思い出の内容をはぐくむ暇」がなかったのです。とりわけ、明治35年(1902)生まれの小林秀雄の世代にとって、西欧化=近代化の流れは既定コースであり、それ以前にあった「日本的なるもの」――つまり、目の前の作品の良し悪しを決める故郷感覚や生活感覚は、すでに自明のものではなくなりつつありました。

浜崎洋介氏による「小林秀雄と文藝春秋」全文は、文藝春秋2022年10月号および「文藝春秋 電子版」に掲載しています。

文藝春秋

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