人口約1400人の津島地区には8000人以上が避難

 夜明けから行う予定だった津波被災者の捜索は、急遽中止した。「助けを待っている人を見殺しにするのか」という猛反発もあったが、原発からの避難を優先せざるを得なかった。

 役場は、町内でも原発からおおむね20km以上離れた山間部の津島地区へ町民を避難させると決めた。呼びかけが始まると、国道114号を津島へ向かう車が長蛇の列をなした。午後には役場も津島支所へ退避を開始したが、その最中の午後3時36分、原発では1号機建屋が爆発した。

「パーン」。その時、役場の隣にある浪江消防署では、消防隊員らが乾いた破裂音を聞いた。しばらくして、空からチリのような物が降ってくるのが見えた。

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 その後の午後6時25分、政府の避難指示区域は20km圏内に拡大された。ところが、これも浪江町には連絡がなかった。

 町の記録誌によると、人口約1400人の津島地区には8000人以上が避難したとされる。津島小学校や各地区の集会所など、人が入れる施設はパンク状態になった。各戸にも親類や知り合いを頼り、大勢の人が身を寄せた。

津島地区の集会施設はどこもパンク状態になった(浪江町津島、赤宇木集会所)

私はとても危険な所へ向かっているのではないか

 馬場さんは、母の状態が落ち着いていたので、とりあえず津島へ帰ろうと決めた。

 13日朝に実家を出て、まずは喜多方市内のガソリンスタンドへ向かった。既に給油待ちの車が長い列を作っていて、午前中いっぱいかかって2000円分だけ入れてもらえた。

「津島では食べ物が不足しているに違いない。簡単に食べられるものを」と生協の店舗に寄ろうとしたが、駐車場がいっぱいで入れなかった。別のスーパーには入れたものの、パンなどは全て売り切れていた。

 津島へのルートは、いつも通る郡山市で給水車に行列ができているというニュースが流れていたので、迂回して別の道を通った。

 津島の手前の川俣町まで来ると、道の駅に大勢の避難者がいるのが見えた。国道の向こうから避難の車がどんどん走って来る。逆に原発の方へ向かうのは馬場さんだけだった。

道の駅に大勢の避難者が集まっていた。国道の向こうからどんどん避難の車が走って来た(川俣町)

「私はとても危険な所へ向かっているのではないか。自問自答しながらハンドルを握りました」と振り返る。

 津島に入ると、地域は避難者でごった返していた。知り合いを見つけて声を掛けると、「朝から夫婦でお握りを一つしか食べていない」と言う。実家で炊いたご飯を「食べて」と渡した。

 自宅には親類や知人が12~13人身を寄せていた。前夜は22人いたという。

 馬場さんは食事の用意などで忙殺された。績さんは津島じゅうに押し寄せた避難者の世話で走り回った。