4/6ページ目
この記事を1ページ目から読む
“松山最大のターミナル”が松山駅じゃない理由
松山市駅は、歴史においても規模においても、そして本質的な意味をもってしても紛れもなく松山では最大のターミナルだ。百貨店・高島屋の入った大きな駅ビル、そのてっぺんではクルクル回る観覧車。
松山市駅前のすぐ脇からは、長い長いアーケードの銀天街が続き、松山市役所・県庁といった官公庁街も徒歩圏内だ。お客の数は、JR松山駅どころか高松やら高知やらを含めた四国全駅をも凌駕する。
開業したのもJR松山駅より40年ばかり遡る1888年のこと。当時は松山駅といって、三津浜から市街地を結んで開業した。いまでは三津浜よりもさらに奥の高浜から広島へのフェリーなどが出ているが、古くは三津浜が松山の玄関口だった。
夏目漱石が松山赴任で上陸したのも三津浜港、正岡子規や秋山好古・真之兄弟といった『坂の上の雲』の面々が松山を発ったのも三津浜港だ。
つまり、伊予鉄道はそうした表玄関から中心市街地までを結ぶ、いわば大動脈として建設されたというわけだ。松山はもちろん、四国全体でもいちばん古い鉄道と駅であった。
だから最初は堂々と松山駅と名乗っていたのだが、1927年に国鉄松山駅が開業すると改名を余儀なくされ、松山市駅に改めた。40年も遅れたくせに……とケチをつけたくなるところだが、このあたりに当時の国家権力の強さが反映しているのだろうか。