1927年に駅ができたとき、この町は…

 明治に入って伊予鉄道が開業したときは、そうした藩政時代を引きずる市街地の外縁ギリギリに線路を通した。だから、松山市駅は中心市街地に接しつつも南の端に置かれたのである。

 その結果、銀天街や大街道は松山銀座と呼ばれるほどの賑わいを獲得する。駅という新たな町の核と繋がったのだから、当たり前のことだ。

 

 そうして松山市駅と商店街を中心に、松山の市街地はさらに拡大してゆくことになる。1927年に松山駅が開業したとき、もはやすでに松山市駅を中心とした松山市街地の形は完成していた。

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 だから、いくら親方日の丸、天下の国鉄松山駅とて、40年も遅れて現れたのでは町の中心たる地位を得るには至らなかったのだろう。もしももっと早く松山駅が開業していたら、この町の形もいくらか変わっていたかもしれない。

 とはいえ、戦災を経ての復興や戦後のさらなる市街地拡大でJR松山駅周辺もかなりの成長を遂げた。すっかり中心市街地に飲み込まれたといってもいい。町外れと言ったところで、お堀端まではほんの10分足らず。路面電車に乗らずとも、松山市駅や大街道へも30分もかからない。

 

 JR松山駅は、中心ど真ん中とは言えないけれど、かといってそこから離れすぎているわけでもないという、絶妙な位置を確保したのである。そのおかげで、大都市に完全に飲み込まれることなく、牧歌的で旅情をかきたてるターミナルになれたのかもしれない。

 が、そんな町外れのJR松山駅も、高架に生まれ変わった。これまで出入口のなかった西側に出てみると、広い空き地が待っていた。きっと、これから再開発が進むのだろう。ホテルや商業施設なども新生・松山駅周辺に現れる。そうなれば、松山の町の形もまた少し変わってゆくのかもしれない。

写真=鼠入昌史

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