『カーネーション』から『おむすび』まで14作もの「連続テレビ小説」に出演し、とりわけ大阪制作の朝ドラには欠かせない存在となっている名バイプレイヤー・湯浅崇。

湯浅崇さん ©︎佐野華英

 なんともいえない味わいと飄々とした佇まいが、一度目にしたら忘れられない。これほどスタッフや共演者から愛される理由は何なのか。その魅力の源に迫る。大阪・堺で育った寡黙な少年が役者になるまでを聞いた、全3回の1回目(2回3回を読む)。

◆◆◆

ADVERTISEMENT

母親に「何考えてるかわからへん」と言われるくらい無口だった

――ご出身は大阪・堺市。どんな少年時代だったんでしょうか。

湯浅崇(以下、湯浅) 本当に無口な子でした。「内弁慶で、よそ行ったら喋れない」というのはありがちだと思うんですけど、僕、家の中でもほとんど喋らなかったんです。母親はよく「何考えてるかわからへん」と言うてました。「晩御飯カレーでいい?」って聞かれたら「うん」か「ううん」ぐらいしか言わない子としてずっと過ごしてきて。なので親戚とか昔の知り合いは「いちばん似合わへんポジションに行ったな」といまでも言ってます。

――「まさか役者になるとは」と。

湯浅 でも、頭の中ではずっと喋ってたんですよね。表に出さずに頭で考えすぎたせいか、小学校3年生のときに神経性胃炎になったんです。病院の先生が「小3の子どもがなる病気じゃない」と言わはって、「どんだけプレッシャーを与えてるんですか」と母親が怒られた(笑)。

――プレッシャーがあったのですか?

湯浅 実際は親からプレッシャーを受けてたわけではないんですが、とにかく四六時中頭の中でうわーって考えてる子どもで。寝るときに「もし今火事になったら、どうやって逃げよう」とか考えすぎて、朝になってしまうみたいな。変な子ですよね。

――物心ついたときからずっと、脳内でエチュード(台本のない即興劇)をやっていたような感じでしょうか。

湯浅 そうかもしれないです。子どものときはお笑い番組ばっかり観てました。世代的には『8時だョ!全員集合』(TBS系列)とか『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系列)の頃。他にも『よしもと新喜劇』(毎日放送)や、芸人さんが漫才やコントを披露するネタ番組とか。全部網羅する勢いで観てました。その情報が頭に入ってたんでしょうね。

――中学・高校で部活はされていましたか?

湯浅 小学校6年生のときに『キャプテン翼』に憧れてサッカークラブに入って、中学でも引き続きサッカーやりたかったんですけど、昭和の時代やったんで、サッカー部は丸坊主にしなくちゃならなくて。それが嫌で、軟式テニス部に入りました。ところがしばらくして転校することになって。転校した先の学校が男子は全員丸坊主強制の学校で。

――せっかく一度は免れたのに、結局丸坊主に。

湯浅 でも「テニスラケット買ってもうたしな」ってことで、中学3年間は丸坊主でテニスを続けました。それで、高校に入ったら「やっぱりサッカーやりたいな」とサッカー部に。