春先の暖かな気候のおかげもあって、昼間から公園でくつろいでいるおじさんも何人か。そんな公園の端っこに、この場所が沼津城の跡であることを示す碑が建っていた。

 
 

「沼津」を形作った“ふたつの顔”

 沼津は、沼津城の城下町として発展してきた歴史を持つ。駿河の東にして伊豆半島の入口にあたり、狩野川が駿河湾に注ぐ港町。

 

 そうした地理的要因から、中世には武田・今川・北条という戦国大名の戦略上の要所になっていたという。江戸時代にはおおむね幕府領の時代が続き、18世紀後半になって譜代の重臣・水野氏が入って沼津城が築かれた。

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 また、江戸時代を通じて沼津には東海道の宿場も置かれていて宿場町としても賑わっていた。城下町と宿場町。その二輪で現在の沼津の中心市街地の基礎が形作られた、というわけだ。

 

 いまも、旧東海道は沼津の町の真ん中を通っている。

 中央公園になっている沼津城跡と狩野川の間を通り抜け、駅前目抜き通りに出ると南へ。

 その次の門でまた右に折れ、すぐに左に折れてその先の大通りでまたまた右に曲がって西に向かい、沼津の町を後にする。鍵形に何度も曲がっているのは、いかにも城下町を通り抜ける街道筋といったところだろう。

 目抜き通りと旧東海道の間の路地は、駅前からちょっと離れたプチ飲食街になっている。観光客や出張者向けというよりは、地元の人が日常の中で利用するような、そうしたエリアなのだろう。弁当屋のような店の前には、近くの工事現場で働いていると思しき男性が数人、並んで弁当を待っていた。