まもなく劇場公開される『ただ、愛を選ぶこと』は、ノルウェーのある家族を追ったドキュメンタリー映画である。自然と自由を愛するペイン夫妻は、森の中の小さな農場で自給自足の生活を送っていた。美しく豊かな自然に囲まれ、のびのびと育っていく可愛らしい4人の子どもたちとともに――。写真家でライターのマリアは、その充実した暮らしぶりをブログ「wild+free」に綴っていた。本作の監督、シルエ・エヴェンスモ・ヤコブセンさんも読者の1人だったという。
「マリアは自然愛好家の間では人気のブロガーで世界中にフォロワーがいます。私も10年ほど前にこのブログに出会って、その生き方にとても共感しました。私自身、母親になる時期でもあったので……」
自主性を重んじるマリアと夫のニックは、子どもたちを地域の学校に通わせるのではなく、ホームスクーリング(家庭教育)で育てていた。
「法律で認められてはいますが、ノルウェーでも、それほど一般的なことではありません。でも、自分たちの生き方を自覚的に選択して生きている彼らは素晴らしいと感じました。そこで、ぜひ取材をさせてほしいと会いにいったんです」
しかし、その時には企画は実現せず、次に一家とコンタクトをとった時、マリアは癌を発症していた。そして2019年5月、42歳でこの世を去ってしまったのだ。残されたのはイギリス人の夫、15歳の長女、9歳の次女、7歳の長男、4歳の次男だった。
「どうしても彼らの映画を作りたいと思った私は、ニックに連絡を取って映画作りを受け入れてもらいました。経済的支柱でもあったマリア無しでは、一家はこれまでと同じ暮らしを続けられず、新しい生活へと移っていかざるを得ない。そんな時のことです」
本作の原題『A New Kind of Wilderness』は、マリアが癌の闘病を公表した日のブログのタイトル。“未知の荒野”――マリアを失った一家にも当てはまる言葉だった。これはそんなペイン家の、喪失と再生の物語なのだ。
「まずマリアが遺した膨大な量の写真と映像、そして文章に目を通しました。作中にも数多く使っています。特に大切にしたのは、彼女の言葉。自然と共生することの素晴らしさと難しさを、マリアは彼女らしい、シンプルだけれど力強い、詩的な表現で綴っています。そのニュアンスを尊重して、いかにもドキュメンタリーのナレーション臭くならないよう気をつけました」
その効果からか、もうここにはいないマリアの存在感と万物に寄せる深い愛が、全編にわたって満ち溢れている。農場を手放すことを決心したニックや慣れない学校生活に戸惑う子どもたちを、いつしかマリアの目線で見守ってしまう。中でも、自分とは血が繋がっていない父ニックやきょうだいたちから離れ、実父と都会で暮らすことを選んだ長女が笑顔を見せてくれた時には心からホッとする。
「孤独な彼女の心に寄り添うことは特に重要でした。そもそも彼らにとって最も痛ましい時に映画を撮る意味を何度も自問しましたし、迷い続けました。ただ、これが彼らに自信を与えるものになることもわかっていました。私がドキュメンタリーを作り続けるのは、それぞれの人の変化や選択を間近で見つめ、その物語を伝えたいからです。本作の場合、それがマリアのメッセージでもある。自分がどんな人生を送りたいのか、自分自身の声に耳を傾けてほしい。そして自然とのつながりを大切に、自分らしく生きていってほしいということです」
Silje Evensmo Jacobsen/テレビ、映画業界で15年以上にわたって活躍するドキュメンタリー作家。教会建設をめぐる対立を描いた『Faith Can Move Mountains』(2021)で長編映画デビュー。本作は長編2作目で、サンダンス映画祭2024ワールドシネマ・ドキュメンタリー部門審査員大賞(グランプリ)などを受賞。
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映画『ただ、愛を選ぶこと』
4月順次公開
監督:シルエ・エヴェンスモ・ヤコブセン
2024年製作/ノルウェー/84分
配給:S・D・P
https://www.tadaai-movie.com/
