解離性同一性障害
解離性同一性障害――、児童精神科医の杉山登志郎さん曰く「子ども虐待の終着駅」であり、虐待の後遺症で最も治療が困難な、重たい症状とされるものだ。
90年代以前は「多重人格」と呼ばれ、複数の人格を持つのが特徴だ。
沙織さんもまた、解離性同一性障害にあるかもしれないことが、夢ちゃんの証言から見てとれる。解離性同一性障害を持つ人の約95%が、性的虐待を受けた経験があるという報告もあるが、沙織さんの中に別人格が生まれたのは、実父により性行為を強要され、ずっと天井だけを見ていた、あの時なのではないだろうか。耐え難い屈辱、苦痛の時間を、おそらく沙織さんは別人格に変わってもらうことで、何とか、くぐり抜けることができたのだ。
そして、一切、治療機関によるケアがなされないまま大人になり、母となった。沙織さんに生まれた別人格は、そのまま沙織さんの中にいることに変わりはない。
以前、「ものすごく凶暴な自分がいる」と沙織さん自身、話していたことがある。凶暴な別人格も、きっといるのだ。
どこでスイッチが入るかわからない、ジェットコースターのような激しい気分変動を持つ母親と、一緒に暮らすことの苦しみのほんの一端を、夢ちゃんは話してくれた。
そこに、日常からのつながりはない。脈絡なく、母親が激昂し、泣き、甘えるわけだ。自分の母親にひとつながりの一貫性というものがなかったら、それは子どもにとって、寄る辺なき道を生きるようなものだ。いつ、どの母親の姿を信じればいいのか。楽しいと思っていたのに、突然、激昂する母親が出現するのだ。
「マイナスになるかもしれない爆弾」と「プラスになるかもしれない爆弾」を、ずっと持っていると夢ちゃんは言った。
できる限り、母親がマイナス爆弾を落としてメチャクチャにしないよう、プラスなんて望まない、プラマイゼロの平穏でいられるよう、極めて慎重に、その2つの爆弾を幼い頃から持ち続けなければいけない暮らしは、虐待環境そのものだ。
そこに子どもが子どもとして、安心してのびのびできる暮らしは皆無だ。今、ママが笑っていてうれしいなと思った途端、マイナス爆弾が全てを破壊する。
トイレしか安心できる場所がなかったという、夢ちゃんの子ども時代。
そればかりか、夢ちゃんが小学校高学年から中学生にかけて、一家は嵐に見舞われる。沙織さんの夫、滝川惇さんの不倫発覚を機に、沙織さんは壊れていく。
その嵐に、幼い夢ちゃんが無傷でいられるわけがない。夢ちゃんは「死にたい病」に、何年も苦しむこととなるのだ。