『東京白菜関K者』を監督
――『東京白菜関K者』を撮るのはその頃ですか?
緒方 『サンダーロード』を作って、ピンクの助監督をやったりしていたものの、自分が果たして映画界でやっていけるのか。今だったら大学に戻れるな、みたいに悩んでいたら、石井さんが「緒方も一回撮ってみろ」と。石井さんはそういう考え方の人で。撮るんだったら、ありがちな映研みたいな映画を撮ったってしょうがない、プロとして8ミリを撮れと。それで企画を考えて、「そんなんじゃ全然駄目だ」と駄目出しされて。で、ある朝起きたら白菜になっていたというアイデアを思いついて言ったら、「そういう自主映画はないぞ。それだったら俺はやってもいい」と。で、石井さんがキャメラをやってくれて。『東京白菜関K者』ってキャメラは石井聰亙ですから。
――そうですか。
緒方 あれ、全部石井さんなんですよ。「ちゃんと上映してお前は名前を世に出して、助監督をやりつつ作家として出ていけ」みたいなことを言われましたね。
――当時PFFで『白菜関K者』を見て衝撃を受けましたけど、今回見返して、すごくプロっぽいなと思ったんですよ。撮影も望遠レンズだったり。
緒方 それ、いろんな人に言われましたね。
――朝起きたら白菜だったという、そのアイデアから始まったんですね。
緒方 そうそう。
――アパートの名前が「認識荘」。
緒方 そうそう(笑)。ちょっと哲学系というか、インテリごっこが好きだったんでしょうね。石井さんはバイオレンス系というか、肉体系のマッチョな感じの映画を標榜してましたけど、僕は小説だと筒井康隆が好きでしたし、カフカとか、不条理ものとか好きだったので。ケン・ラッセルとか好きでしたからね。ちょっと癖のあるカルト系というか、そういうのを目指して。
――ケン・ラッセルっぽいところ、ありますよね。指を切っちゃって怒涛のように血が出るとか。
緒方 そうそう。ああいうことをやろうとしてるんですよ。まあ、それも時代の真似っこみたいな感じはあるんですけどね。
