――緒方さんは日本映画界の映画の作り方を、ピンク映画という小さな規模ではあっても少し分かってきたという段階だったと思うんですけれども。作り方をぶっ壊すという前に、ちゃんと学ばないといけないと感じたんですか?
緒方 僕はものすごく感じましたね。だから、『爆裂都市』の後、石井さんの『アジアの逆襲』というプロモーションフィルムみたいなものをやった時に、石井さんと大ゲンカしまして。「あんたなんか監督でも何でもない」というすごい失礼なことを現場で言いましたね。つまり、スケジュールを出して、それが撮れないなら撮れないと言ってくれればまだ考えられるし、1カット2カット取りこぼすならまだ分かるけれども、予定の半分も消化出来ない。映画監督というのは撮りたいものをただ撮りたいと言っているだけでいいわけ? という。だから、僕は『爆裂都市』の後に自主映画全否定ですよ。自主映画じゃもう駄目だと。
『逆噴射家族』の助監督よりもカラオケビデオの監督を選ぶ
緒方 『爆裂都市』が終わった後、少ししてディレクターズ・カンパニーができるわけですよね。その頃僕は、とにかく映像でお金をもらうんだという意識がすごく強かったです。つまり、バイトしてお金をためて自主映画を撮る、もっと言うと、今村昌平さんみたいに、借金して自分のやりたいものを追求して構想何十年でやるみたいな、そういう映画ももちろんあってもいいんですけど、そうじゃなくて、俺はやっぱり映像のプロフェッショナルなんだ、それで飯を食っていくんだということを、すごく自分で意識して標榜してましたね。
ディレカンができた時に、『逆噴射家族』の助監督をやってくれないかというのが来たわけですよね。実は『逆噴射家族』は準備の時は手伝っていたんですが、長谷川和彦さんか高橋伴明さんかどっちか分からないですけど、「緒方はチーフに使うな。笠松はキャメラに使うな」と石井さんに言ったらしいんです。「お前は自分のスタッフとではなく、プロとしてプロとやるべきだ」という。それは正しいことなので。それでチーフの方がいらっしゃって、僕をセカンドで使いたいとなった時に、僕はディレカンのカラオケビデオの監督を選ぶんですよね。ディレカンでカラオケビデオをやっていて、その監督を平山秀幸さんや黒沢清さんとかそうそうたるメンバーでやっているんです。演歌の『花と蝶』とかやったりして、1本につき2~3万ぐらいもらっていたのかな。そういうことをやりたいんだと思いましたね。映像で飯を食う。だから、映像で自分が表現したいものを追求するという考え方、それは石井さんにいまだに脈々とあると思うんですけど、そこは当時から僕はちょっと違うんですよね。映像のプロフェッショナルになっていくということですね。
