被害者のウエイトレスは犯人と付き合っていた?

 ベティとデイビッドが射殺されてから半年が過ぎた1969年7月4日の独立記念日、またも、同じソラノ郡にあるブルー・ロック・スプリングス公園の駐車場で車中にいた若い男女が銃撃される。この公園は最初の事件が起きた場所からわずか約3キロのところにあり、ここもまた「ラバーズ・レーン」と呼ばれていた。撃たれたのは、19歳のマイケル・ルノー・マギューと22歳のウエイトレス、ダーリーン・フェリン。ダーリーンは既婚者だったが、この日、マイケルとデートしていた。ダーリーンは亡くなったが、マイケルはサバイブし、事件が起きた時のことを捜査官にこう話している。

「ダーリーンと車の中にいた時、1台の車が駐車場に入ってきたんだけど、すぐにどこかに行ってしまった。しかし、少しして、同じ車が戻ってきて、僕らの車の後ろに駐車した。その車から、銃と懐中電灯を手にした男が出てきて、車の助手席の窓に向けて5発撃った。男はいったんどこかに行くと、また戻ってきて、僕らをまた2回ずつ撃ったんだ。男は90キロくらいの体重で、顔は大きく、髪は明るい茶色の巻き毛で黒い服を着ていた」

 地元警察は、この事件発生から数時間後、ある男から電話で、自身が犯人だと告げられている。

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「2つの殺人事件を報告するよ。コロンバス・パークウェイを東に1マイル行くと、公園に着く。そこに茶色の車に乗った子供たちがいる。彼らは9ミリのルガーで撃たれた。僕は去年も子供たちを殺したよ。グッドバイ」

 ちなみに、ダーリーンは銃撃犯と前に付き合っていたのではないかという説もある。また、ダーリーンは最初の事件で銃撃されたベティとデイビッドのことを知っていた。彼女はベティの家の近くに住み、ホーガン高校に通っていたからだ。また、ある写真で、ダーリーンはある男性と一緒に写っているが、その男性は事件後、似顔絵が描かれたゾディアックによく似ているとも言われている。

 若いカップルが殺害された事件はベイエリアの住民を恐怖に陥れ、警察や地元紙を翻弄した。

地元紙が受け取った「自称犯人」からの手紙

 1969年8月1日、地元紙のヴァレホ・タイムズ、サンフランシスコ・クロニクル、サンフランシスコ・エグザミナーは1通の手紙を受け取る。それは「こちらは、昨年のクリスマスにハーマン湖で2人のティーンエイジャーを殺害し、7月4日にヴァレホのゴルフコース付近で少女を殺害した犯人だ。私が彼らを殺害したことを証明するために、私と警察だけが知っているいくつかの事実を述べる」という一文で始まり、殺害に使用した銃の種類や、被害者がどこを撃たれたか、何を身につけていたかなど警察しか知りえない詳細が記されていた。

 また、犯人は、手紙には408文字の暗号文(Z408)が封じ込まれており、その暗号の中に自分が何者であるかが隠されていると訴え、手紙を新聞の第一面に掲載するよう要求した。さらに、手紙が掲載されなければ、「週末、殺戮に出かける。夜中に一人でいる者を殺し、週末の間、12人以上になるまで殺し続ける」と警告していた。