イエローキャブの運転手を襲撃
しかし、この事件はちょっと毛色が違っている。襲撃されたのが、それまでのような男女のカップルではなく、ポール・スタイン(29歳)というイエローキャブの運転手だったからだ。スタインは1969年10月11日、サンフランシスコのダウンタウンのユニオンスクエア近くで乗客(ゾディアック)を約5キロ離れたプレシディオ・ハイツまで乗せ、その乗客に後頭部を撃たれて亡くなった。犯行現場を目撃したティーンエイジャーたちが警察に通報、駆けつけた警官は現場近くを歩いている黒い服を着た白人の男を目撃したが、後に、ゾディアックは「その男が実は自分だったのだ」と手紙の中で明かしている。
もっとも、この殺人事件は当初、強盗殺人と見なされ、ゾディアックによる3件の連続殺人事件とは無関係と見られていた。しかし、サンフランシスコ・クロニクル紙に、ゾディアックから、スタインを殺害したという犯行声明文とスタインの血がついたシャツが入った手紙が送られてきたことから、この殺人もまたゾディアックの犯行と確認されている。
37人の被害者がいると示唆
ゾディアックによる犯行と警察が確認している殺人事件はこの4件だけだが、実は、ゾディアックは他にも数多くの殺人事件を犯している可能性がある。当時、カリフォルニア州では、未解決の殺人事件が何十件も起きており、ゾディアック自身も37人の被害者がいると手紙の中で示唆していたからだ。
その中でも、ゾディアックの関与が最も疑われている殺人事件は、高校生の男女が殺害された最初の事件が起きる2年以上前の1966年10月30日に遡る。この事件では、サンフランシスコから640キロ以上南にあるリバーサイド・コミュニティ・カレッジの女子学生シェリ・ベイツ(18歳)がキャンパスの路地で殴打され、首を絞められ、さらに、何度も刺されて亡くなった。事件の1ヶ月後の11月29日、リバーサイド警察とリバーサイド・プレスが受け取った「告白」と題された手紙には、ベイツを殺害したことや犯行の詳細、ベイツ殺害が「最初ではないし、最後でもないだろう」と殺人予告をする警告文も記されていた。
また、1966年12月には、「生きることにうんざり/死にたくない」と題された不気味な詩が発見された。王立カトリック教会図書館の机の裏に刻み込まれていたその詩は筆跡がゾディアックの手紙の筆跡と似ており、詩はゾディアックが書いた可能性があるとの見解も上がったが、事件を捜査していたリバーサイド警察は、ゾディアックはベイツ殺害事件とは無関係との見方を示している。


