本県犯罪史上まれにみる“毒婦裁判”は開幕したーー。この日午前3時、宇都宮市の婦人グループ4~5人、少し遅れて矢板市の婦人グループが準急列車で駆けつけるなど、宇都宮地裁は続々押しかける傍聴者で夜明け方までには早くも定員の85人を突破。開廷直前には、入りきれない数十人が法廷を取り巻くという地裁の新記録。色と欲で男を操り人形のように動かし、虫けらのように殺した小林カウを一目見たいという人たちだった。

 

 看守に付き添われて大貫、カウが相次いで入廷。大貫は坊主頭に紺の背広、手に数珠を掛け、傷心の様子だった。和服に派手な道行きコートを羽織ったカウは、満廷の視線にも少しも悪びれず、報道陣のカメラを拒否するなど、落ち着き払っていた。

 2人は起訴内容を全て認めた。法廷ではカウのめいの供述調書から、殺害前に2回にわたって、カウが鎌輔の酒と味噌汁に塩酸を入れて毒殺しようとしたことが明らかにされた。新聞の見出しは「鬼女 尋問にも冷然」(栃木)、「殺し屋(大貫)の手にジュズ」と毒々しかった。

初公判を伝える栃木新聞。写真は出廷するカウ

 以後、公判は30回以上にわたり、後半は熊谷事件も併合して審理が続いた。この中でカウは「犯行後、『金、金』とせびる大貫をいっそ殺してしまおうと思って“第三の男”に相談したが断られた」と証言。鎌輔殺しの動機については次のように供述した。

「元警察官の中村に捨てられてから急に金銭欲が出た。しかし、もうけた金約200万円を鎌輔さんの口車に乗せられて日本閣につぎ込み、無一文になってしまったのが憎らしかった。さらにウメさん殺しや放火計画は大貫と私の共謀と口外するようになったので生かしておけなくなった」

カウは大貫殺害も計画していた(下野新聞)

日本閣が全国的に有名になり、観光客も

 事件は週刊誌や雑誌にも取り上げられて話題になった。

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「全国に知らされた日本閣は塩原温泉の名前を全国規模に底上げさせ、旅館組合が積極的な宣伝活動に取り組んだため、予約客の足は早くから伸び、例年の3割増しとなっていた。観光バスのガイドは塩原温泉に入ると、まず最初に(旧塩原)御用邸(1904~1946年)を指さし、次に尾根に屹立する天狗岩(塩原の景勝地)を説明していたが、事件後は2番目に日本閣を指さすようになった。観光客はどっと沸き、バスの片側に寄ったり、中にはバスを降りて橋を渡ってすぐ近くまでのぞきに行く者もいた。

 やがて日本閣の玄関口にネオンを灯したスタンドバーが店を開き、町の人々はのぞき客相手に開店したとうわさした」

事件を知って日本閣前に集まったやじ馬(栃木新聞)

 吉田和正『誘う女 ドキュメント日本閣殺人事件』(1994年)はこう書いている。