一審初公判直前の1961年4月14日付毎日は「平然と“黒い手” 小林カウ」が見出しのまとめ記事を載せた。その識者談話の中で劇作家の田中澄江は「物欲も性欲も普通人以上に強く、理性で判断することができない」「非常なエゴイスト――。だから、殺人という恐ろしい罪を犯してもシャーシャーとしている。欲望だけで生きる女性がいたこと。私はそこに戦争の原型をみるような気がする」と評した。「婦人公論」1963年1月20日臨時増刊で作家、平林たい子は「闇市の小商人などによくいた女のタイプ」と分析し、問題は「彼女がどの男も愛していないことである」と指摘した。

吉永小百合は「私の中にも魔性のような部分がある」

 一方でカウの死刑執行から14年後には、事件をモデルにした東映映画『天国の駅』(1984年、出目昌伸監督)が公開された。吉永小百合が「初の汚れ役」としてカウ役を演じたことが話題になり、インタビューで彼女は「私の中にも、そうした魔性のような部分があるので、それを大きく膨らませて演じたいと思います」と語った(「週刊宝石」1984年2月17日号)。

映画『天国の駅』(1984年)

カウは「時代の旗手だった」

 下野新聞とちぎ20世紀取材班編『とちぎ20世紀 上巻』(2000年)は「戦後の混乱から復興への道に入った日本人の多くは、『生きるため』から『より幸せに、より豊かに』を望み始めた」とし、映画の脚本を書いた早坂暁の言葉をこう伝えている。

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「カウが求めていたものが愛だとすれば、それは元巡査(=中村)だった。その出会いをきっかけに、彼女は自分の『欲望』に忠実になった。極端な言い方をすれば、カウは『時代の旗手だった』」

 カウは中村について「一目見た時から好きだった」と語り、公判ではこうも述べたという。

「生涯でただ一人愛した人でした」

 愛を求めた女、誰も愛さなかった女。はたしてどちらが彼女の本当の姿だったのか。死刑執行の時、カウは選んでおいた晴着を身に着け、薄化粧をしていたという。


【参考文献】
▽『栃木県警察史 下巻』(1979年)
▽栃木新聞社編集局編『栃木年鑑 昭和37年版』(栃木新聞社、1962年)
▽大貫大八『ある裁判の断層』(落合書店、1967年)
▽吉田和正『誘う女 ドキュメント日本閣殺人事件』(三一書房、1994年)
▽大塚公子『あの死刑囚の最後の瞬間』(ライブ出版、1992年)
▽堀川惠子『教誨師』(講談社、2014年)
▽下野新聞とちぎ20世紀取材班編『とちぎ20世紀 上巻』(下野新聞社、2000年)

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