「わたしはしょばいがしみ(商売が趣味)で、姉の家ぞくにもおゝ(う)えんしてもらったので、しょばいにもあたり、お金はのこしましたけれど、世の中の事は一こうにむとんじゃく(一向に無頓着)で、さつ人をおかしてさいばんになるとゆう事もしりませんでした」

「金は、はたらけばいくらでもできるのですから、しょばいでもうけるのはさしつかえないのですから、そのしょばいをねっしんにやれば、金にはこまらないものです。自分で人をだますとか、人のだいさん(財産)ねらうとか、そうゆうきもちがないから、人をしんようして口車にのってしまい、しっぱいばかりしてくやしいくやしいで一しょう(一生)をおわった女ですから、少しはよいところを見ていただいて、ごかんべんをお願いいたします」

カウが控訴審に出した上申書(「週刊サンケイ」より)

化粧も、媚や愛嬌たっぷりの笑顔を振りまくこともやめた

 同書によれば、カウは「ほかの死刑囚のように、来る日も来る日も“お迎え”におびえてびくびくと暮らすようなことはしなかった」という。

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「むろん、死刑確定直後はすっかり力を落とし、ふさぎ込んで何日かを過ごした。けれども、極めて短い日数で立ち直ってしまった。しかし、カウの生活態度には大いなる変化が生じた。化粧をやめ、媚や愛嬌たっぷりの笑顔を振りまくことをやめた。意味もなく大口を開けてケラケラ笑いこけることもなくなった。一切の営業用のお愛嬌をやめたのだ。そのために、急に十歳も老け込んだように見えた。担当の女子刑務官は、死刑判決のショックでガックリ老け込んだのだとはじめは思った。しかし、それにしても、ちっともクヨクヨした感じがないのが不思議だった」

「もう1日だけ待って……」

 そんな彼女に最期の日が来る。1970年6月10日、拘置所長に呼ばれ、あす執行を告げられたカウは「そうですか」と何の感情も交えない声で答えた。その後「もう1日だけ待っていただけませんか」と頼んだが、断られた。これは『あの死刑囚の最後の瞬間』の記述だが、『教誨師』は「事情がすぐにはのみ込めぬ様子で『キョトン』としていた」と書き、「日延べ」の要請は、執行直前に「もう2、3日待ってもらえないもんでしょうか?」と言ったことになっている。

 最後に食べたいものを聞かれ、遠慮がちに「それではお寿司を」と言った。その晩、刑務官や教誨師らを交えて最後の「宴」が開かれ、カウは音痴ながら、十年ほど前の流行歌を歌ったという。

 執行の日、拘置所長に「言い残すことは?」と問われ、「長い間、お世話になり、ありがとうございました。思い残すことも、言い残すこともありません」と答えた。「立ち合う一同の目には、なんと堂々たる態度であることかと映った」(『ある死刑囚の最後の瞬間』)。