――本作のもとになった『デジタルカメラを持った男』という作品は、当初からチャオとビンの物語として構想されていた、ということでしょうか?
ジャ・ジャンクー 必ずしもそうとは言い切れません。当時の撮影は山で狩りをしているようなもので、街なかにいる人々にカメラを向けることもあれば、俳優をいろんな場所に連れていきそこで思いついた演技をさせたりもした。その場で偶然出会ったものをただ映していただけで、物語といえるようなものは何もなかったんです。
――つまり過去に撮り溜めた素材を、コロナ禍を機に蘇らせたわけですね。編集にとりかかったのがこの時期だったのは、なぜでしょうか?
ジャ・ジャンクー 「改革開放」(注:1978年から開始された、中国を共産主義経済から資本主義経済に転換させる政策のこと)を掲げひたすら前に前にと突き進んできた中国社会は、コロナ禍を機にまた封鎖的な社会に戻ってしまったと私には感じられたのです。パンデミックによって、これまでの成長が突如として中断してしまった。社会は一度終わってしまったのではないかとさえ感じたのが、あの時期でした。そういう大きな変化の中で、過去に自分が撮ったチャオとビンの物語について再び考えるようになりました。活力に満ちた時代から保守的な世界に戻ったこの社会で、あの二人はどんなふうに生きているのか。時間が一度止まったかに思えた今、この映画を完成させ、彼らの物語を終わらせようと考えたのです。
この映画を作った一番の動機は、今のこの時代を理解したいということ
――なるほど。当初この映画を見たときは、過去の自作を引用しながら新作を作ったという点で、レオス・カラックス監督がある種のセルフポートレイトとして作り上げた最新作『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』とのつながりを想像しました。でも今のお話をうかがうと、『新世紀ロマンティクス』は、これまでの自分の歩みを振り返るというよりも、この20数年間の中国社会のありかたを振り返る意味合いが強かったのかな、と感じられてきました。
ジャ・ジャンクー 『新世紀ロマンティクス』の英語タイトルは「Caught by the Tides」(時代の潮流に流されて)。人間とは、大きな社会の流れのなかで絶えず時代の潮流に流されて生きていく、そういう受動的な存在なのかもしれない。それならばこの二十年来の時代の潮流を通して、今の時代の気分とはどんなものなのかを考えてみよう。それが、私が編集のときに考えていたことです。




