国道41号の上を走る名古屋高速1号楠線が開通したのが1995年。金シャチが取り付けられたのは、少なくとも1995年以降ということになる。

 森村さんが指摘したクスノキというのは、国道41号の金シャチエリア内にある東片端交差点の近くに生えている大きなクスノキのことだ。

国道の車道のど真ん中にあるクスノキの大木

 北進車線の真ん中、第一走行車線と第二走行車線の間にあり、それを避けるように車線が左右に分かれている。私もこの道を車で通る度に気になっていた。

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通りすがりのご夫婦からの“貴重な証言”

 また、通りすがりのご夫婦からは「20年ぐらい前に、防音壁と一緒にできた」との証言が得られた。聞く人によって、時期が「20年前」「10年前」「3年前」とバラバラだったが、「子供が小学生の頃だから20年前だと思う」というエピソードが具体的だったため、最も信ぴょう性が高いと感じた。また、このご夫婦からはじめて“防音壁”という言葉が出た。

 その後、クリーニング店への聞き込みでも“防音壁”という話が出た。車道と歩道を隔てるガードレールもしくは柵だと思っていたが、よく見ると支柱と支柱の間には板が入っている。茶色の鉄板もあれば透明のポリ板もあるが、確かに遮音壁の構造をしている。

言われてみれば、確かに防音壁だ

 しかし、高さが1メートルほどしかないため、遮音効果が高いとは思えない。それも聞いてみたが「もっと高くする話だったけど、それじゃあ治安が悪くなる。防犯のために低くしてくれと要望した」とのことだった。どうやら、防音壁であることは間違いなさそうだ。

 その後も調査を続け、知っていそうな人を教えてもらい、リレー方式で聞き込みを行った。しかし、それでも進展がなかった。金シャチの謎は解けないままだが、周辺の歴史を知る貴重な証言が数多く得られた。

 国道41号のこの区間は、元々は片側1車線しかない名古屋市道だった。かつては市電(名古屋市電高岳線)も通っており、今とは全く異なる風景だったという。道路は徐々に拡幅され、1953年には国道に指定された。拡幅される度に道沿いの家や商店は後退を余儀なくされた。市電は1971年に廃止され、1995年に名古屋高速1号楠線が開通すると、空が見えなくなった。

 “文化のみち橦木館(しゅもくかん)”では、館長の香川絢子さんにご対応頂いた。橦木館は、古くから武家屋敷が建ち並んでいたエリアにある大正末期から昭和初期に建てられた邸宅跡で、名古屋市の有形文化財に指定されている。香川さんも金シャチの詳細はご存知ではなかったものの、このエリアのより深い歴史について教えてくれた。

文化のみち橦木館

 名古屋城が築城され、清洲から街ごと引っ越してきた清洲越しにより城下町が形成された。国道41号の高岳と清水口の間に東片端交差点があるが、この東片端が名古屋城下からの東の出入り口だった。車道の真ん中に生えている大きなクスノキは、名古屋城の東の目印として東片端に植えられたという。