現在の国道41号は木曽街道、同じく国道19号は善光寺街道として当時から往来が盛んで、両街道が交わる交通の要衝として栄えていた。
名古屋城と国道41号の接点が見えてきたが、香川さんは「名古屋城に向かう道ではないし、なぜここに金シャチなのかは謎」だという。その後、香川さんが地元でガイドをしている方などに電話で金シャチのことを聞いてくれたが、皆さんご存知ではなかった。
ここで日没となり、気がつけば周囲はすっかり暗闇に包まれていた。また、もう既に沿道の店という店に聞きつくしており、聞き込みを行う先もなくなっていた。残念ながら、ここで調査を一時終了するしかなかった。丸一日歩きながら調査を行い、道を通して地域の歴史が見えてきて、とても楽しかったが、当初の目的だった金シャチの真相にはたどり着けなかった。
この日の調査で気になったのは、国道が南北に伸びているのに対して、商店街は東西の道に沿って発展していることだ。そして、ここまで聞き込みをしても決定的なことを知る人は誰もいなかった。このことから、商店街や町内のコミュニティで要望なり取り付けを行ったとは考えにくい。それが分かっただけでも、収穫といえるだろう。
藁にもすがる思いで…
この日の調査とロケは終了したが、諦めきれなかった私は、その後も一人で調査を続けた。大竹さんが一度話を聞いたという国土交通省の出張所に、私も直接聞いてみることにした。やはり「昔のことで分からない」との回答だったが、防音壁は2007年度の工事であることを教えてくれた。その際に金シャチも取り付けられたと考えるなら、聞き込みで得られた20年前という証言ともほぼ合致する。
なおも手がかりを得ようと、1日かけて調査したこと、そこで皆さんから聞いた話、269個を数えたことなどを話すと、実際に防音壁を施工した業者さんの社名をわざわざ調べてくれた。西側と東側で施工業者が異なり、2社の社名をお聞きした。
藁にもすがる思いで、私は社名から連絡先を調べ、電話してみた。1社目は「何も分かりません」とあっけなく断られてしまった。もう1社は何箇所も電話を回されたが、最終的には、なんと実際に防音壁の設置工事に携わったという方と直接お話しすることができた。早速、金シャチの謎について聞いてみる。
